人生の答えはいつも私の中にある [思考]
我々はもともと神と一体であり、そのままで完璧である。
本当の自分をもとめて師をもとめたり、勉強したり、修行する必要はない。
すべてはあなたの内なる声に耳をかたむけて、もとの自分に帰ればよい。
人格はペルソナであり、本当のあなたではない。
それは生きていくために身につけた狭い自己であり、内なる声に従うのに邪魔になることさえある。
我々は生まれつき罪深いというのは間違った考えである。
我々はみな生まれながらに善であり、完璧である。
内なる本当の声に耳を傾けて活きることで、幸福になり生きていくのに必要なすべてが手に入る。
今、この瞬間に集中し、「気付き」を大切にしよう。
自分自身を信じれば、どう生きればよいかわかるし、自分の価値を証明する必要も感じなくなる。
時には心の声に従ったために失敗したかのようにみえることがあるかもしれない。
しかし、それは本当の自分になるために与えられた道であり、必要な痛みだと信じてその痛みを味わおう。
神の行うこと(我々の心の声)は決して不必要な痛みを与えたりしない、
もし、あなたが不幸だとしたら、それは自分が不幸になるように願っているし、
自分を小さなとるにたらないものとして扱っているから、神もそのようにしているのである。
あなたの人生に影響を与えられるのはあなただけである。
だれもあなたの望まないものをあなたに受け取らせることはできない。
努力して苦しむことは成功を妨げる。内なる声に従えば、身体を壊すほど働いたり、
他人の望みのために自分を犠牲にしたりすることはないはずだ。
裁くことと識別することは違う。
裁くことは感情に乱れを起こす、苦悩し、状態を泥沼化する、欠乏感、被害者意識、分離感からなる。
識別は、直感的叡智にのっとり賢い選択ができる能力である。識別しているときには安らぎがあり、すべてが善いことを信じて怒ったり誤ったりせずに「ノー」といえる。
あらゆる限界は自分が作ったものであり、幻想である。
だから今自分が信じるものだけでなく、信じることを広げて人生が提供するすべてのものを受け入れよう。
他人や物事を支配しようとしてはいけない。それは不可能だから。
変えられるのは自分の思考=自己イメージである。
不必要なものは手放してみれば、必要なものは手に入る。むしろ手放さないと手に入らない。
我々は変革の時代に生きている。
世界を変えるのはあなたの思考を変えることで成し遂げられる。
確実なものはなにもない。
よりよい未来を思い描けば、それを実現させる力があなたにはある。
この本から受け取れる最高の贈り物は「これを読む必要はなかった」という気づき。
宝石はあなたの中にある。学ぶことはない、思い出せばいい。
あなた自身が何者であるか知り、それを表現せよ。
本当の自分をもとめて師をもとめたり、勉強したり、修行する必要はない。
すべてはあなたの内なる声に耳をかたむけて、もとの自分に帰ればよい。
人格はペルソナであり、本当のあなたではない。
それは生きていくために身につけた狭い自己であり、内なる声に従うのに邪魔になることさえある。
我々は生まれつき罪深いというのは間違った考えである。
我々はみな生まれながらに善であり、完璧である。
内なる本当の声に耳を傾けて活きることで、幸福になり生きていくのに必要なすべてが手に入る。
今、この瞬間に集中し、「気付き」を大切にしよう。
自分自身を信じれば、どう生きればよいかわかるし、自分の価値を証明する必要も感じなくなる。
時には心の声に従ったために失敗したかのようにみえることがあるかもしれない。
しかし、それは本当の自分になるために与えられた道であり、必要な痛みだと信じてその痛みを味わおう。
神の行うこと(我々の心の声)は決して不必要な痛みを与えたりしない、
もし、あなたが不幸だとしたら、それは自分が不幸になるように願っているし、
自分を小さなとるにたらないものとして扱っているから、神もそのようにしているのである。
あなたの人生に影響を与えられるのはあなただけである。
だれもあなたの望まないものをあなたに受け取らせることはできない。
努力して苦しむことは成功を妨げる。内なる声に従えば、身体を壊すほど働いたり、
他人の望みのために自分を犠牲にしたりすることはないはずだ。
裁くことと識別することは違う。
裁くことは感情に乱れを起こす、苦悩し、状態を泥沼化する、欠乏感、被害者意識、分離感からなる。
識別は、直感的叡智にのっとり賢い選択ができる能力である。識別しているときには安らぎがあり、すべてが善いことを信じて怒ったり誤ったりせずに「ノー」といえる。
あらゆる限界は自分が作ったものであり、幻想である。
だから今自分が信じるものだけでなく、信じることを広げて人生が提供するすべてのものを受け入れよう。
他人や物事を支配しようとしてはいけない。それは不可能だから。
変えられるのは自分の思考=自己イメージである。
不必要なものは手放してみれば、必要なものは手に入る。むしろ手放さないと手に入らない。
我々は変革の時代に生きている。
世界を変えるのはあなたの思考を変えることで成し遂げられる。
確実なものはなにもない。
よりよい未来を思い描けば、それを実現させる力があなたにはある。
この本から受け取れる最高の贈り物は「これを読む必要はなかった」という気づき。
宝石はあなたの中にある。学ぶことはない、思い出せばいい。
あなた自身が何者であるか知り、それを表現せよ。
叡智のひびき 天風哲人箴言註釈 [思考]
天風会の機関誌「しるべ」に連載された「箴言注釈」を編集し刊行したもの。
表現や言葉のわかりずらい所は下に注釈がついている。
箴言一
積極心というと消極心と反対だから心の前に現れるすべてのことに常に拮抗する気分になるが、それは違う。
真の積極心は常に心が泰然不動の状態であることをいう。病難、運命難であろうとも心がこれを相手にしないで、かかわりを持とうとせず、勝とうとも負けようとも思わず超然としてやすらかでおちついていることが積極心であり心の強さである。
また、自己がそうなりえるといって、他人の心的態度にたいして寛容さを欠いてはならない。清濁併せのむことが必要。
箴言二
報償をあてにしてなされる行為は相対的で根本的。
報償を超越してなされる行為は絶対的で根本的でない。
報償を求めない行為には「まごころ」がありそれに感応しあたたかいものを感じる、絶対的強さがある。
それは期待というものがないので失望がないためである。
もし、報償を本位とするいやしい心が発生したら、「箱根山、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を担ぐ人」という古諺をおもいだし、いかにえらくなっても一人ではいきられないことを思い出すといい。
箴言三
悩みをもつのは当然のことではない。心が統制されていないからである。
潜在意識の整理が不完全だと、本能心意のなかに「不要残留真意」が存在して、それが恐怖や悲観や憎悪といった消極的感情情念にとなって実在意識領域に発言したのが悩みである。
箴言四
真実の思いやりを実行している人は少ない。
思いやりは、「自分が相手の立場にいたらどうであろうか」と考えること。
自分以外の人の心持を理解しあえるのは人間だけに賦与された能力である。
もし相手の気持ちになって考えられないのなら、その人の人生観が「自己中心主義」だからである。
宇宙のすべてのものは「空」から造られる。そしてすべてのものは一切独自に存在しない。厳密に調和して、その存在を確保しあっている。そして調和が破られると常に「空」が修復している。
これに照らし合わせると、他との協和協調を考えないで活きる「自己中心主義」が決して正当な人生観でないとわかる。
箴言五
天風教義のなかで感謝観念が大切であることがわかっていても実行できていない人がいる。
実行できないのは自己完成への情熱がし烈でないから。
自己完成はもっとも大切なことである、その人生の大事実を簡単に達成できるとおもってはいけない。
真理を理解した以上は一途にたゆみなく真剣に実行し、感謝をこころがけよ。
箴言六
天風教義のイデオロギーは、この世に活きる人々が本当に幸福に活きられるような、もっと明るい世界をつくること。
そのためには人間同士が正しい愛情で愛し合わねばならない。
正しい愛情は、お互い人間がこうしてこの世に活きて存在しているという犯すべからざる事実をもっと真剣に厳粛に思料して、心の底から生命の存在を尊敬しあうこと。それが宇宙心理。
呼吸し、飲食し、排泄していれば命が活動するというのが神秘である。その正体は不滅のエネルギーが人間からから人間へ相伝されて現実界に活動している状態である。これが尊敬に値するのである。
こころの底から「いのち」の生きているという現実を心の底から敬虔な気持ちで尊敬しよう。
わけへだてない正しい愛情の持ち主となって、明るい世界の現実建設を人生最大の念願としよう。
箴言七
インドのヨガ哲学は5千数百年という歴史をもつ由緒あるmのであり、そのなかの「クンバハカ密法」はもっとも神聖なる状態という意味で、生命に及ぼす効果事実は極めて超越した尊貴なものである。それは宇宙に遍満存在している精気を収受充満して、全体生命を霊体化するというもの。
これを普段の努力で続けよ。とくに怒り、悲しみ、恐れという精神的努力で適当に抑制できないときには特に真剣に行うべきである。
箴言八
不平不満をいうのは恥ずかしいこと。ただの悪習慣である。自己制御できていないのである。
万一不平不満がでたら、それは恥ずかしいことと強く編成する習慣をもとう
箴言九
自身が身心統一法を実践し、自身の心の在り方を厳しく監視するのはもちろんだ。
しかし、みだりに他人を批判するという悪い習慣を少しも気が付かないで是正しないと、事故の心の在り方に対する注意が知らず知らずおろそかになる。
箴言十
身心統一法はあらたまってやるものではない、日常生活の中でおこなうものである。
箴言十一
他人の心を消極的にする言動は絶対になすべきでない。
常に他人の言動を鏡として観察し、積極的か消極的か観察すべきである。
そうすることで病や運命を克服するような勇気を他人に現実につけてやりえるごとき、こぶ的な奨励的な言行を自己自身が容易になしえるようになる。
箴言十二
この世に原因のないものは絶対ひとつとして存在しない。
何人でも何事かをなすときには力と勇気と信念を一体とした心構えがなにより必要な根本原理である。
その場合、調和を無視してはいけない。 不完全の中には調和が絶対ありえない。
自己存在のみを重く考えて、事故以外にも人がいるのだという大切なことを重大に考えない人は、調和を無視しているの現実構成がその努力に順応しない。
箴言十三
世の中の人はもっと生活の中の情味を味わうべき。二度と来ない日を楽しさを感じないでただ活きるための努力をするのは人生を無意味にしてしまうこと。
多くの人の誤りは生活の情味を物質方面に求めることにある。
生活の情味は楽しい事柄の中のみにあるのではなく、金や物質の豊かなときにのみあるのではない。悲しい事柄の中にもある。生活の中で広く深く情味を見出すことに努めよ。それは心の力を強めること。どんな人生事情も楽しみに振り替えて息よ。
箴言十四
天風会の教義の真髄は自主自立。「天は自らたすこるものをたすく」
「自己の言動にあくまで責任をおう」覚悟がそのなかにないと、自主自立という人間の本来の面目を完全に実行できない。
自己の言動に対する責任感の薄い人は、ややともすると自己の健康や運命に変調を生じると他に責任を転嫁して、それを間違いだと思わない。
これは誇るべき天風会員の資格をないがしろにすることである。
箴言十五
物質本位の生活は満ち足りることが容易でない。満足が一時的である。それは五欲によるものだから。
人間は楽しみを感じる心が低調になると、苦を感じやすくなる。
他の人の悦びを自分の悦びと感じられないなら、日々の人生を極めて価値なく活きていること。
箴言十六
清濁をあわせ呑まない心でこの混沌たる人生に活きると人生世界が極めて狭いものになる。
いろんな心の人がいるなかで活きていく時、そうめったに自分の気持ちにぴったりと合致する人がいるはずがない。
それなのに自分に気持ちにマッチしないものは容易に融合しようとしないで反対に排斥する、そういる人に限って他から批判される欠点の多いひとであり、しかも自分できがついていない。
そもそも生命は短く、すべての人と知り合いになれるわけではない。ならば出会えた人との因縁を無にするには天意への冒涜である。
箴言十七
積極ということは、その意味の取り方を軽率にすると単なる楽天主義になる。
そういう人は、いつも自分の心の快適を感じないことには交渉を避けて、気分に適合するものだけを相手にするという、贅沢な活き方をする。これは正しい人間の活き方ではない。
箴言十八
人を憎んだり恨んだり、悪口や中傷をなす人は、因果応報として己もそうなる。それなのにそれを極度に嫌う。
こういうことをする人は心に「善」なるものを欠如しているのが原因である。
生活が善の軌道から外れているとき人生幸福はない。
自己批判を厳正にして、他人を批判する自分を内省せよ。
縁を大切にすれば、そういった行動はしなくなるはずである。
箴言十九
心の在り方を内省検討することは、生命の積極化に肝要ではあるが、我執でおこなわれることがある。
こうなると自分の心の在り方を、終始自己本位、利害を主眼として検討する態度になってしまい、公正を欠く。
内省検討を完全に行うには自分の心の在り方を第三者の心の在り方を観察するのと同様にしなければならない。 そして意識は霊性心意識=良心でないといけない。
箴言二十
反省は自発的で決して他発的ではない。他人に反省は強要できない。
だから、人に反省をうながして、無視されたからと腹をたてるのはばかげている。
箴言二十一
病や風におびやかされたとき、これを克服するのに何よりも必要なのは心の力である。
心の力は精神生活態度が積極的であるときのに渙発される。
天風会員は明るい住みよい世界を現実に作為しようとしているのだから、病不運にあっている無自覚な人を救う努力をすべし、。
親切を本位として正しい同情で、落ちている元気を引き立てるための鼓舞と奨励をを現実にする言動をせよ。
いけないのは、うぬぼれた態度でえらそうに口角泡を飛ばして傲慢な様子でこともなげに説得すること。これではうなずけるものもうなずけない。
現代の人はみな自分と同じように考えると思っていることを踏まえ、その不明を新設本位で自覚させることが大事。
箴言二十二
現在の自己の持つ理性意識や感情情念は、明日も同一ではない。
だからそれらに依存してはいけない。
本心良心=霊性心意に従うべき。
箴言二十三
真の幸福は心の力で得られる。人生に対する精神態度が人生の幸不幸を決める。
他人の言葉や言動に自分の心を同化させたり、忠告や親切を無視されて憤るひとがいる。これらは心身相関の真理を知っているのに身についていない人である。
箴言二十四
せっかく、できるだけと尊く清く活きぬこうとしていたのに、いつのまにか消極的になり怒り悲しむ自分を発見するような経験をするものだ。
それは油断である。心の明瞭度がピンボケになっていたので、その虚につけいって消極念が実在意識領域に侵入したのだ。
気が付いたら、後悔よりも、もっと実践躬行するようにわれとわが心に一鞭あてよ。
箴言二十五
神の心意が真善美であるのは絶体である。
真と美は本心に固定され善なるものは良心の能動に際して発動する心情である。
善なるものの真意義は絶対愛の発露された心意、またはその心意を基盤としてなされる行為。
いついかなるときでも真善美を自己の実際心情として活きること。
そのために天風会の各種方法を真剣に実行せよ。
得を積んで家を整えよ。
箴言二十六
真理は唯一無二、絶対的だが、倫理は人間のその時代の生存上の都合や条件等を標準または理由として作為されたもの。相対的なもの
だから判断は真理=霊性心意にゆだねるべき、また潜在意識領域を整理浄化することにこころがけないといけない。
箴言二十七
人の世のために尽くすのは人間としては当然で私心があってはいないあ。
利己心はすべての過失と不幸の源泉。
これでは尊い行為を実行しても、とうてい必要な誠心誠意を発露させてはくれない。
真の幸福人生は自己本位の相対論からでなく、誠心誠意という調和享容絶対的意識の中からのみ生じる。
自分以外の人の幸福を望む気持ちでお互いの心が一つに結ばれない限り、広い意味での人々の幸福は実現されない。
心理の実践躬行に精進して、自己本位の心を克服して、明るい世界を作る先駆者としての実をあげよ。
自己をより高く尊く改造せよ。
箴言二十八
平和を願う人が多いのに実現はしない。
「和のきもち」が欠けているからである。
「和の気持ち」があれば「思いやり」という階級の高い心情が発露し、低い自分の料簡を自然と抑制中和されて、相手の立場を感がられる。
まずは何よりも家庭生活に真の平和を築くべきである
物事が推移変遷sる野は一切の物事を完全化しようとする宇宙に存在する自然現象である「調和の復元」である。
諸行無常の変化変転は現象の完全化にタする別名である。
縁を重大に考えるなら、一つの家に起居生活するものを一つのものと考えてみる。するとすべて己であることがわかる。
箴言二十九
理性の判断はどこまでも相対的
本心良心は絶対的。
しかし漫然として日常の精神活動を刊行すると本心良心ではない結果になる。
本心に下ぐためには何ら後ろめたさ、咎めを感じないもんを言行するのが大切。それが本心良心。
優秀な理性心理は推奨すべきだが、言行のいっさいと理性心理にまかせるべきではない。
箴言三十
暗示の分析は「感情」を離れて行わないと、正当な分析でなくなってしまう。
箴言三十一
人生とは自己の生命活動の存続している現実の刹那刹那をいう。
万物の霊長たる尊厳を確保して活きるのが天風会員の正当な自覚。
自己の人生は自分のものなのに、モノや人に使われ煩わされたのでは大切な心が使われたことになってしまう。
身心統一法を修めた人でもこうなるときがあるが、それは感情統御が未完成ということである。
由来感情は長い間の習慣であり、あらためるのは難しいが、天風会の三忽三行をつかうと効果がある。
三忽=怒らず、恐れず、悲しまず 三行=正直・親切・愉快
自然に従うものは栄える。宇宙真理を実行せよ。
表現や言葉のわかりずらい所は下に注釈がついている。
箴言一
積極心というと消極心と反対だから心の前に現れるすべてのことに常に拮抗する気分になるが、それは違う。
真の積極心は常に心が泰然不動の状態であることをいう。病難、運命難であろうとも心がこれを相手にしないで、かかわりを持とうとせず、勝とうとも負けようとも思わず超然としてやすらかでおちついていることが積極心であり心の強さである。
また、自己がそうなりえるといって、他人の心的態度にたいして寛容さを欠いてはならない。清濁併せのむことが必要。
箴言二
報償をあてにしてなされる行為は相対的で根本的。
報償を超越してなされる行為は絶対的で根本的でない。
報償を求めない行為には「まごころ」がありそれに感応しあたたかいものを感じる、絶対的強さがある。
それは期待というものがないので失望がないためである。
もし、報償を本位とするいやしい心が発生したら、「箱根山、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を担ぐ人」という古諺をおもいだし、いかにえらくなっても一人ではいきられないことを思い出すといい。
箴言三
悩みをもつのは当然のことではない。心が統制されていないからである。
潜在意識の整理が不完全だと、本能心意のなかに「不要残留真意」が存在して、それが恐怖や悲観や憎悪といった消極的感情情念にとなって実在意識領域に発言したのが悩みである。
箴言四
真実の思いやりを実行している人は少ない。
思いやりは、「自分が相手の立場にいたらどうであろうか」と考えること。
自分以外の人の心持を理解しあえるのは人間だけに賦与された能力である。
もし相手の気持ちになって考えられないのなら、その人の人生観が「自己中心主義」だからである。
宇宙のすべてのものは「空」から造られる。そしてすべてのものは一切独自に存在しない。厳密に調和して、その存在を確保しあっている。そして調和が破られると常に「空」が修復している。
これに照らし合わせると、他との協和協調を考えないで活きる「自己中心主義」が決して正当な人生観でないとわかる。
箴言五
天風教義のなかで感謝観念が大切であることがわかっていても実行できていない人がいる。
実行できないのは自己完成への情熱がし烈でないから。
自己完成はもっとも大切なことである、その人生の大事実を簡単に達成できるとおもってはいけない。
真理を理解した以上は一途にたゆみなく真剣に実行し、感謝をこころがけよ。
箴言六
天風教義のイデオロギーは、この世に活きる人々が本当に幸福に活きられるような、もっと明るい世界をつくること。
そのためには人間同士が正しい愛情で愛し合わねばならない。
正しい愛情は、お互い人間がこうしてこの世に活きて存在しているという犯すべからざる事実をもっと真剣に厳粛に思料して、心の底から生命の存在を尊敬しあうこと。それが宇宙心理。
呼吸し、飲食し、排泄していれば命が活動するというのが神秘である。その正体は不滅のエネルギーが人間からから人間へ相伝されて現実界に活動している状態である。これが尊敬に値するのである。
こころの底から「いのち」の生きているという現実を心の底から敬虔な気持ちで尊敬しよう。
わけへだてない正しい愛情の持ち主となって、明るい世界の現実建設を人生最大の念願としよう。
箴言七
インドのヨガ哲学は5千数百年という歴史をもつ由緒あるmのであり、そのなかの「クンバハカ密法」はもっとも神聖なる状態という意味で、生命に及ぼす効果事実は極めて超越した尊貴なものである。それは宇宙に遍満存在している精気を収受充満して、全体生命を霊体化するというもの。
これを普段の努力で続けよ。とくに怒り、悲しみ、恐れという精神的努力で適当に抑制できないときには特に真剣に行うべきである。
箴言八
不平不満をいうのは恥ずかしいこと。ただの悪習慣である。自己制御できていないのである。
万一不平不満がでたら、それは恥ずかしいことと強く編成する習慣をもとう
箴言九
自身が身心統一法を実践し、自身の心の在り方を厳しく監視するのはもちろんだ。
しかし、みだりに他人を批判するという悪い習慣を少しも気が付かないで是正しないと、事故の心の在り方に対する注意が知らず知らずおろそかになる。
箴言十
身心統一法はあらたまってやるものではない、日常生活の中でおこなうものである。
箴言十一
他人の心を消極的にする言動は絶対になすべきでない。
常に他人の言動を鏡として観察し、積極的か消極的か観察すべきである。
そうすることで病や運命を克服するような勇気を他人に現実につけてやりえるごとき、こぶ的な奨励的な言行を自己自身が容易になしえるようになる。
箴言十二
この世に原因のないものは絶対ひとつとして存在しない。
何人でも何事かをなすときには力と勇気と信念を一体とした心構えがなにより必要な根本原理である。
その場合、調和を無視してはいけない。 不完全の中には調和が絶対ありえない。
自己存在のみを重く考えて、事故以外にも人がいるのだという大切なことを重大に考えない人は、調和を無視しているの現実構成がその努力に順応しない。
箴言十三
世の中の人はもっと生活の中の情味を味わうべき。二度と来ない日を楽しさを感じないでただ活きるための努力をするのは人生を無意味にしてしまうこと。
多くの人の誤りは生活の情味を物質方面に求めることにある。
生活の情味は楽しい事柄の中のみにあるのではなく、金や物質の豊かなときにのみあるのではない。悲しい事柄の中にもある。生活の中で広く深く情味を見出すことに努めよ。それは心の力を強めること。どんな人生事情も楽しみに振り替えて息よ。
箴言十四
天風会の教義の真髄は自主自立。「天は自らたすこるものをたすく」
「自己の言動にあくまで責任をおう」覚悟がそのなかにないと、自主自立という人間の本来の面目を完全に実行できない。
自己の言動に対する責任感の薄い人は、ややともすると自己の健康や運命に変調を生じると他に責任を転嫁して、それを間違いだと思わない。
これは誇るべき天風会員の資格をないがしろにすることである。
箴言十五
物質本位の生活は満ち足りることが容易でない。満足が一時的である。それは五欲によるものだから。
人間は楽しみを感じる心が低調になると、苦を感じやすくなる。
他の人の悦びを自分の悦びと感じられないなら、日々の人生を極めて価値なく活きていること。
箴言十六
清濁をあわせ呑まない心でこの混沌たる人生に活きると人生世界が極めて狭いものになる。
いろんな心の人がいるなかで活きていく時、そうめったに自分の気持ちにぴったりと合致する人がいるはずがない。
それなのに自分に気持ちにマッチしないものは容易に融合しようとしないで反対に排斥する、そういる人に限って他から批判される欠点の多いひとであり、しかも自分できがついていない。
そもそも生命は短く、すべての人と知り合いになれるわけではない。ならば出会えた人との因縁を無にするには天意への冒涜である。
箴言十七
積極ということは、その意味の取り方を軽率にすると単なる楽天主義になる。
そういう人は、いつも自分の心の快適を感じないことには交渉を避けて、気分に適合するものだけを相手にするという、贅沢な活き方をする。これは正しい人間の活き方ではない。
箴言十八
人を憎んだり恨んだり、悪口や中傷をなす人は、因果応報として己もそうなる。それなのにそれを極度に嫌う。
こういうことをする人は心に「善」なるものを欠如しているのが原因である。
生活が善の軌道から外れているとき人生幸福はない。
自己批判を厳正にして、他人を批判する自分を内省せよ。
縁を大切にすれば、そういった行動はしなくなるはずである。
箴言十九
心の在り方を内省検討することは、生命の積極化に肝要ではあるが、我執でおこなわれることがある。
こうなると自分の心の在り方を、終始自己本位、利害を主眼として検討する態度になってしまい、公正を欠く。
内省検討を完全に行うには自分の心の在り方を第三者の心の在り方を観察するのと同様にしなければならない。 そして意識は霊性心意識=良心でないといけない。
箴言二十
反省は自発的で決して他発的ではない。他人に反省は強要できない。
だから、人に反省をうながして、無視されたからと腹をたてるのはばかげている。
箴言二十一
病や風におびやかされたとき、これを克服するのに何よりも必要なのは心の力である。
心の力は精神生活態度が積極的であるときのに渙発される。
天風会員は明るい住みよい世界を現実に作為しようとしているのだから、病不運にあっている無自覚な人を救う努力をすべし、。
親切を本位として正しい同情で、落ちている元気を引き立てるための鼓舞と奨励をを現実にする言動をせよ。
いけないのは、うぬぼれた態度でえらそうに口角泡を飛ばして傲慢な様子でこともなげに説得すること。これではうなずけるものもうなずけない。
現代の人はみな自分と同じように考えると思っていることを踏まえ、その不明を新設本位で自覚させることが大事。
箴言二十二
現在の自己の持つ理性意識や感情情念は、明日も同一ではない。
だからそれらに依存してはいけない。
本心良心=霊性心意に従うべき。
箴言二十三
真の幸福は心の力で得られる。人生に対する精神態度が人生の幸不幸を決める。
他人の言葉や言動に自分の心を同化させたり、忠告や親切を無視されて憤るひとがいる。これらは心身相関の真理を知っているのに身についていない人である。
箴言二十四
せっかく、できるだけと尊く清く活きぬこうとしていたのに、いつのまにか消極的になり怒り悲しむ自分を発見するような経験をするものだ。
それは油断である。心の明瞭度がピンボケになっていたので、その虚につけいって消極念が実在意識領域に侵入したのだ。
気が付いたら、後悔よりも、もっと実践躬行するようにわれとわが心に一鞭あてよ。
箴言二十五
神の心意が真善美であるのは絶体である。
真と美は本心に固定され善なるものは良心の能動に際して発動する心情である。
善なるものの真意義は絶対愛の発露された心意、またはその心意を基盤としてなされる行為。
いついかなるときでも真善美を自己の実際心情として活きること。
そのために天風会の各種方法を真剣に実行せよ。
得を積んで家を整えよ。
箴言二十六
真理は唯一無二、絶対的だが、倫理は人間のその時代の生存上の都合や条件等を標準または理由として作為されたもの。相対的なもの
だから判断は真理=霊性心意にゆだねるべき、また潜在意識領域を整理浄化することにこころがけないといけない。
箴言二十七
人の世のために尽くすのは人間としては当然で私心があってはいないあ。
利己心はすべての過失と不幸の源泉。
これでは尊い行為を実行しても、とうてい必要な誠心誠意を発露させてはくれない。
真の幸福人生は自己本位の相対論からでなく、誠心誠意という調和享容絶対的意識の中からのみ生じる。
自分以外の人の幸福を望む気持ちでお互いの心が一つに結ばれない限り、広い意味での人々の幸福は実現されない。
心理の実践躬行に精進して、自己本位の心を克服して、明るい世界を作る先駆者としての実をあげよ。
自己をより高く尊く改造せよ。
箴言二十八
平和を願う人が多いのに実現はしない。
「和のきもち」が欠けているからである。
「和の気持ち」があれば「思いやり」という階級の高い心情が発露し、低い自分の料簡を自然と抑制中和されて、相手の立場を感がられる。
まずは何よりも家庭生活に真の平和を築くべきである
物事が推移変遷sる野は一切の物事を完全化しようとする宇宙に存在する自然現象である「調和の復元」である。
諸行無常の変化変転は現象の完全化にタする別名である。
縁を重大に考えるなら、一つの家に起居生活するものを一つのものと考えてみる。するとすべて己であることがわかる。
箴言二十九
理性の判断はどこまでも相対的
本心良心は絶対的。
しかし漫然として日常の精神活動を刊行すると本心良心ではない結果になる。
本心に下ぐためには何ら後ろめたさ、咎めを感じないもんを言行するのが大切。それが本心良心。
優秀な理性心理は推奨すべきだが、言行のいっさいと理性心理にまかせるべきではない。
箴言三十
暗示の分析は「感情」を離れて行わないと、正当な分析でなくなってしまう。
箴言三十一
人生とは自己の生命活動の存続している現実の刹那刹那をいう。
万物の霊長たる尊厳を確保して活きるのが天風会員の正当な自覚。
自己の人生は自分のものなのに、モノや人に使われ煩わされたのでは大切な心が使われたことになってしまう。
身心統一法を修めた人でもこうなるときがあるが、それは感情統御が未完成ということである。
由来感情は長い間の習慣であり、あらためるのは難しいが、天風会の三忽三行をつかうと効果がある。
三忽=怒らず、恐れず、悲しまず 三行=正直・親切・愉快
自然に従うものは栄える。宇宙真理を実行せよ。
タグ:中村 天風
運命を拓く 天風瞑想録 [思考]
中村天風こと中村三郎の生い立ちが小伝としてまとまっていた。
柳川藩士中村祐興の三男で東京の王子でうまれ、粗暴だからというので、小学校を卒業すると福岡の修猷館にいれられた。そこでけんか相手を刺殺して、退学。福岡の壮士の集団玄洋社に預けられる。ここで師と仰ぐ遠山満とであう。
その後陸軍中佐河野金吾のかばん持ちとして遼東半島でスパイ活動をし、その後軍事探偵としてハルピン方面を探索。一度は敵の手におちるが部下に救い出され生還。その後奔馬性の肺結核にかかり北里博士の治療などをうけるが回復せず、世界に救いをもとめアメリカからヨーロッパをまわり、なかなか納得できず日本に帰ろうと乗った貨物船でインドのヨガの聖人とあい、ヒマラヤのカンチュンジュンガのふもとの村で修業、悟りをひらき日本に帰国。
実業界で活躍していたが、ある日すべてをすてて街頭で身心統一法を説くようになる。そして92歳で生涯をおえるまでたくさんの人たちに身心統一法を伝える活動を行った。
この本は天風の講話をまとめたもの
真理瞑想行・・・人生に対する自覚と反省を促し、現在ある命をよりよく有意義に活かすのに必要な基礎的考えを正確に作り上げることを目的としている。本来は与えられた問題を誰にも教えられずに自分なりに何年でも考えるというのが本当の方法だが、それだと半分も解決できないであろうから、悟りをひらいたものから伝える。しかし、この方法だと苦心していないので、得たものが無になるおそれがある。安定打坐でこき悪露をきれいにして受け入れ、ヒマラヤの奥地ので心理にとりくんでいる気持ちで聞いてほしい。安定打坐には雑念をふりほどく力があるので、真剣におこなう人ほど、悟りが早い。内容をわかろうとしないで、ただ受け入れるのが大切である。
序章 朝旦偈辞
人間として生まれたからには自分の命の中に与えられた力の法則を正しく理解して生きること。
我々のうけた教育が科学に偏っているので哲学的思考になれていない。哲学は現象を遡りその原因を追究する学問。
形のある宇宙ができる前にすでに形のない宇宙があった、一番根本は実在から生み出されたもの。ただ一つのエネルギーを生み出すものが宇宙をつくりだした。
一番いけないのは五感が察知できないものをないと思うこと。空気や電波も察知できないがある。
たった一つの宇宙の生み出したものが森羅万象。死はここに還元されること。
人間は板靴の中で宇宙本体の分派分量を一番うけているのが人間。だから霊長。
「気」はすべてうごかなければならない。「気」が動こうとするときに現れる現象をアイディアという、人で言うと心である。心は一切の生命の中核をなし、「霊」という「気」の働きを行うために与えられている。心の活動は思うことと考えること。無意識と意識的がある。
心の運用いかんで、肉体、精神生命、一切を決定できる。「人間の心で行う思考は人生の一切を創る」
だからいかなる場合でも消極的な方面から物事を思ってはいけない。人間の心になんらかの観念がでると、その型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働いて形作る。
だから自分の怠らず、注意深く自分の心の中の思い方や考え方を積極的にするよう努力しないといけない。
最後に朝旦偈辞(甦りの)誦句
第1章 生命の力
肉体が自分であると思っている人が多いが、正体は霊魂である。肉体の上体を決めるのは心である。
精神生命には命を活かす力となる宇宙エネルギーを受けいれる第一機能がある。宇宙エネルギーは脳髄から神経系統に送られて命を活かす力となる。
この宇宙エネルギーは哲学では精気、霊気、先天の一気、神とよばれることもある、身心統一法では「宇宙霊」と読んでいる。
人間が生きるためのエネルギーを受け入れる物質として、空気、食物、水、土と太陽光線があるが、原動力は霊魂。
どんな場合にも、人間というものの生命は一切の生命をしのいでいる力の結晶だと正しく思いこんでしまうことが大切。
心は霊魂という気の働きをおこなうための存在であり、心が思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される。だから心の行う思考はすべて個人を通じて宇宙令に通じている。だから思考は人生をつくる。この関係をゆるぎないものにすれば、人間は生命の強さを自由に獲得することができる。宇宙霊と人間の思考が一体であるとわかると、人間自体の生命力の認証を最高度に引き上げた考え方を心にもつことができる。
元気という気が出た時には人間と宇宙令が完全に結びついたことになる。
力の誦句
第2章 人生を支配する法則
現代の教育は科学教育であり、大事な人生に対する案内は理解されていない。
動物・植物・鉱物すべては一つのもの「霊妙」な気が根拠になって生み出されている。気の中に作られたものが存在している。
これを天風哲学では「宇宙霊」と呼ぶ。ただし呼び方はどうでもよい。これは思い込む以外に認定の方法はない。
証拠はつかめないが観念的に想定することはできるし、実際にある。
いつも宇宙霊とともにあるのだとおもうと、心強くなれる。
病や運命を気にしない積極的な心であれば、無念無想に近い状態になり、宇宙にまんべんなく存在している幽玄微妙な気の霊智をうけとることがdけいるが、肉体から発する本能や感覚に心が縛られて心の融通性の極めて低い消極的な個心になると受け入れ態勢を妨害することになり、十分に生命の中に受け入れることができない。それは事実として体験したこと。(結核がなくなったこと)
証拠がないと安心できないというのは大変な間違い、宇宙を物質的に考えようとするから失敗する。大宇宙の根源は非物質的なもの。
人生を左右するのは心ひとつの置き所である。
しかしこの悟りは簡単に与えられると、自分自身が苦労していないので失いやすい。
人間はだれでも経験や学問がなくても完全な人間生活=心身を統一できる人間であればだれでもひとかどの成功ができる。
人間本来の面目に即した活き方「清く、尊く、強く、正しい積極的な心」であれば宇宙からの霊智がたくさん人間の生命の中に送り込まれる。
しかし、感覚の世界で欲と感情に追い回されている人は、自分の心に原因があるとは思わず他に罪があると思ってしまう。
人間の心こそ、宇宙一切の作り主である宇宙大霊と自分の生命本体たる霊魂とを交流結合させる回路である。
この世は本質的に楽しい、うれしい、調和した美しい世界なのに、心の態度しただいで苦しくもなっている。
「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きる」のが天風哲学の最重要点。
人生は原因結果の法則が支配しており「蒔いた種のとおりに花が咲く」
宇宙霊はすべてのものを創り出すため、休むことなく働いている、だから宇宙は常に更新し、進化し、向上しつつある、生命体である。
人間の本質は霊であるので、人間がものを考えるときその背後には宇宙霊とその発する力が十分な用意をして控えている、観念が強烈であるほど活動力を増す。だから常に心の中に積極的な思考や観念を描くことを努力しなければならない。
大切な質問「お前はこの世に何をしにきたか知っているか」、考えるうちに魂の夜明けがきたという。
たどりついた答えは「人間は宇宙の進化と向上に順応するためにうまれてきたのだ」
自分は常に宇宙霊につつまれており、宇宙霊は全知全能の力をもっている、それと結びついている生命をもっている自己も無限大、宇宙で最も優れたものとしてつくられたことを信念としてもてば、幸福になれる。
人生をあまり難しく考えない方がよい。難しく考えるとわからなくなる。真理は足元にあり、高遠な学理の中にあるのではない。軽率な考えではいけないが、学問がある人のほうが、思い違いをしやすい。
思考作用の誦句
第3章 潜在意識とその性能
意識には実在意識と潜在意識がある。
潜在意識は肉体の建設者であり、人生の建設者である。細胞が日々うまれかわり再生されているのに、いつまでも同じ苦しみから逃れられない人は、心の状態が潜在意識に反映されることを理解していない。潜在意識は宇宙霊と結びついて高い程度の作用をする。このため実在意識の態度をコントロールして潜在意識に十分に活動させないといけない。
第4章 言葉と人生
「言葉」は重大な影響をもっている。
人間の精神生命の中には暗示の感受性があり、ものの声に応じたように感じる、すると潜在意識がそのとおりの状態で動き出す。潜在意識は実在意識に影響を与える。
日々の言葉が実在意識の態度を決定し、強烈な暗示になる。
人生というものは言葉で哲学化され科学化されている。言葉は人生を左右する。
消極的な言葉は使わない。「疲れた、死にそうだ、もうだめだ」
積極的な言葉を使う。「大丈夫だ、心配するな、元気だ」
「こうするからできない」ではなく「こうすればできる」
勇気や喜びを与える言葉をお互いに話し合うようにしよう。
言葉の誦句
第5章 大いなる悟り
心は宇宙より広い。
あなたの自我の中には造物主の無限の属性が宿っている。
造物主と自分の生命の結び目を堅固に確保することが大切。そうしないと病や不運がくる。それらは他に原因があるのでなく、自分の心のありようである。
造物主の心は絶対に積極的で「真」「善」「美」しかない。そして分け隔てしない。これに自分の心を同化させることでその結び目は強くなる。それが正しい活き方である。
あなた方はみなどんな偉人とも同じだけの値打ちを持っているが、心の運用で結果がちがっている。
天風哲学では5日間で心を積極的にする方法を教えている。あとはやればよい。
病になろうと不運になろうと心の態度は崩さないこと、人間生まれた以上死ぬときは死ぬ。心を積極的に磨いて、宇宙エネルギーの分派分量をいただいていることを感謝しよう。
心を積極的に保つと要らないものを忘れ、いることだけを覚えているようになる。要らないことを覚えているから大切なものが覚えられないのだ。
大偈の辞
第6章 人生と運命
運命には天命と宿命がある。
天命は絶対で、宿命は相対。
現代では宿命ですらちょっと努力してだめだと天命だといってあきらめてしまう。
自己の無自覚と、神経過敏の心が人生をくだらない、価値のない哀れなものにしている。これらの人は迷信にたよりやすい。大安や友引、姓名判断、方角などいうものは心はチンパンジーより劣っている。そんなものは人生を不自由にするだけ。
すべては自分の心を積極的にするかどうかであり、そうすることで宿命は打破できる。
感情はおきるのはしかたないが、いつまでもしがみついている必要はない。しがみつくのは自分の方である。
どんな場合があっても心がいつまでも長くひっかかっているを執着という。
心に消極的な気持ち(怒りや悲しみねたみ)があるときはそれを遠ざけて積極的な気持ちになるように努力しよう。心に感謝と歓喜の感情をもたせるように心がけよう。感謝することは必ずある。病だって気づきを与えてくれる感謝するべきものだ。失敗は間違いを気が付かせてくれるものだ。
美しくない感情は悪魔。
歓喜には肉体的と精神的があり、精神的なほうがはるかに高い。精神的歓喜の最高のものを喜びを分かち合うこと。
心は人の生命と宇宙霊のハーモニーを合わせるダイヤル。
歓喜が宇宙霊から自己の生命のなかに力を誘導する。
迷信に陥らない強い心をもち、ニコニコ笑って生きるように積極的な心でいよう。「人生は心ひとつの置き所」
運命の誦句
第7章 人間の生命の本来の面目
人間の本来の面目は「創造の生活」人間は進化と向上のために生まれたから。
どんな人間も「完全につくりあげたい」という欲求があり、それは自然に与えられた活動能力である。これを確実に応用すれば、丈夫で成功できる。
歳をとるとこの創造の意欲がうすくなるが、それは程度が低い。また希望がピンボケで、だらしなく生きているのも無価値な人生である。だからといって、いやしい希望や汚れた欲望から出発した創造意欲や創作意欲は断固排斥するべし。そうした希望や意欲は満たされない場合が多く、満たされても価値のない人生になりがちだから。自分の生命や貫禄、力量を度外視した考え方は自己本位で低級な欲望。目標として自分の創造意欲に火をつけるべきは「自己向上」である。
そもそもいつまで生きるかわからないのに、歳を考えてうんぬんするのは過ち、一日一刻を完全に生きることが貴重な生命を与えてくれた創造主への正当な義務。われわれの生命はいつも伸びよう伸びようとしているのである。
運命の良くない時に運命にこだれば運命にまけてしまう。病気のときは病気を忘れよ。
生きている間は造物主からの力を受け入れる口を自分で広く、伸び伸びと広げよう。常に自己向上を意欲として、健康や運命を完全にする本当の成功を自分で作ろう。
統一箴言
第8章 人生の羅針盤
人生で大切なのは信念をもつこと。疑いだせば不安はきりもない。
ただし合理的な信念でなければ盲信となる。
天風哲学では鏡を用いた合理的な方法で信念の渙発方法を教えている、これを実行せよ。
そうすれば雑念妄想をおさえて心の正体をだし、颯爽溌剌たる人生を活きることができる。
信念がなければ、どんなに金があろうが、学問ができようが、薄氷の上に人生である。
信念は本来の生きる力なのだから渙発されたくてうずうずしている、誦句をとなえ、どんなときでも信念を失うまいと宇宙霊と約束実行しよう。
天風本人も本当の気持ちで人のためを思ってする仕事だからダメなわけわないと、人にとめられるのも聞かず身心統一法を広める道にはいったという、
真理に国境はない、自然の摂理に従い、自分だけでなく世の人を幸福にするために活きてこそこの世に生まれた買いがある。信念の人となれ。
信念の誦句
第9章 第一義的な活き方
理想的な安定打坐は眼を開いていても、仕事をしていても、その刹那に心耳を澄まし、空の声をきけば安定打坐になれる。静かに座禅を組むのは練習、本来の目的は日常におこなえるようになること。
見るもの、聞くもの、触れるものを皆自分の人生に交渉を持つようにするのはいけない。それは執着であり雑念。要らないことに心を脅かされてはいけない。
病があろうと不運であろうと、そのいっさいに対して心の力で句を楽しむ境涯に活きる活き方をすること、これが第一義的な活き方。
それには根本的に積極的になること、不快なものにとりあわず、常に幸福の方面から物事を考えて感謝し、満足して生きること。
報いを求めるのはいやしい行為である。幸福の為にやるというのも間違っている。人間として当然のことをやっているだけなのだ。
常に「真=まこと、善、美=調和」以外には心を使わない、考えない。宇宙霊には「真、善、美」意外ないので。宇宙霊と同じきもちでいよう。
自分だけがよくなればいいという考えでなく、世界中よくなるというでっかい欲望をもて。
それが日本を輝かしい国にする。
座右箴言
第10章 恐怖への戒め
ものごとに恐怖すると、人生によくない結果が来るのは因果律の法則で、宇宙真理でそうなっているから。
物事を恐怖観念で考えるのは宇宙霊と人間との関係を強く信じる信念が欠けているから。
恐怖がでてきたらクバハカでふきとばせ
恐怖観念撃退の誦句
第11章 勇気と不幸福撃退
人間は悩むためにうまれてきたのではない。悲観したり心配したりしてすべてのことを消極的に考えるのはやめるべき。
大宇宙の精気は積極的に考えればプラスが、消極的に考えればマイナスが入ってくる。
人間は面目を発揮しているときだけ、人間の幸福が与えられる。
同情は、他人の言葉や行為に自分の心が影響されること。
忠告はきくきかないは相手の自由。
心を積極的にする要点は勇気の渙発。
勇気さえ心から失わなければ、何事もこの世に怖がるものはない。
寝る前に誦句を読んで気持ちの掃除をし、勇気ある自分を作ろう
不幸福撃退の誦句
第12章 理想と想像
哲学でいえば理想は立派な宗教。理想が楽しければ楽しいほど、神や仏がなくても自己自身の人格の全体が立派なものにされるから。理想の階級が高く積極的であるほど、その人は非常なナマ生として勇ましさで人生を常に生きられる。
理想のない人生は哀れで惨憺たるものである。
宇宙本体の力は人間の心の状態を鋳型としてそれを実現化させる自然現象を表す、だから理想をもっていることが大事だ。
不都合や不満があれば、そういう方面から考えないで、それが完全にできた姿を心に描きなさい。 人間の心の中に描かれた想像が人類進歩の源泉である。
観念の世界は自由であるが、自己監督で宇宙のプラスの力を引き出す理想の高いものを描かないといけない。健康な体を作って、人の世の為に現実の貢献をしようというの階級が高い。
想像力の誦句
理想の誦句
第13章 一念不動
人生を幸福にする原則のうちでもっとも必要な原則は、いったん自分の描いた理想は、一念不動の状態で固く把持して変更しないこと。
ことあるごとに、自分の希望するところ、求るところのものを「実現する!実現する!」と自己自身にいう、そうすれば宇宙霊は自然的な経路で自動的にその求ることを実現してくる。
恐怖や変更をすることなく信念強くその実現を待てば、思考は必ず成就実現される
一念不動の誦句
修道大悟の誦句
中村天風こと中村三郎の生い立ちが小伝としてまとまっていた。
柳川藩士中村祐興の三男で東京の王子でうまれ、粗暴だからというので、小学校を卒業すると福岡の修猷館にいれられた。そこでけんか相手を刺殺して、退学。福岡の壮士の集団玄洋社に預けられる。ここで師と仰ぐ遠山満とであう。
その後陸軍中佐河野金吾のかばん持ちとして遼東半島でスパイ活動をし、その後軍事探偵としてハルピン方面を探索。一度は敵の手におちるが部下に救い出され生還。その後奔馬性の肺結核にかかり北里博士の治療などをうけるが回復せず、世界に救いをもとめアメリカからヨーロッパをまわり、なかなか納得できず日本に帰ろうと乗った貨物船でインドのヨガの聖人とあい、ヒマラヤのカンチュンジュンガのふもとの村で修業、悟りをひらき日本に帰国。
実業界で活躍していたが、ある日すべてをすてて街頭で身心統一法を説くようになる。そして92歳で生涯をおえるまでたくさんの人たちに身心統一法を伝える活動を行った。
この本は天風の講話をまとめたもの
真理瞑想行・・・人生に対する自覚と反省を促し、現在ある命をよりよく有意義に活かすのに必要な基礎的考えを正確に作り上げることを目的としている。本来は与えられた問題を誰にも教えられずに自分なりに何年でも考えるというのが本当の方法だが、それだと半分も解決できないであろうから、悟りをひらいたものから伝える。しかし、この方法だと苦心していないので、得たものが無になるおそれがある。安定打坐でこき悪露をきれいにして受け入れ、ヒマラヤの奥地ので心理にとりくんでいる気持ちで聞いてほしい。安定打坐には雑念をふりほどく力があるので、真剣におこなう人ほど、悟りが早い。内容をわかろうとしないで、ただ受け入れるのが大切である。
序章 朝旦偈辞
人間として生まれたからには自分の命の中に与えられた力の法則を正しく理解して生きること。
我々のうけた教育が科学に偏っているので哲学的思考になれていない。哲学は現象を遡りその原因を追究する学問。
形のある宇宙ができる前にすでに形のない宇宙があった、一番根本は実在から生み出されたもの。ただ一つのエネルギーを生み出すものが宇宙をつくりだした。
一番いけないのは五感が察知できないものをないと思うこと。空気や電波も察知できないがある。
たった一つの宇宙の生み出したものが森羅万象。死はここに還元されること。
人間は板靴の中で宇宙本体の分派分量を一番うけているのが人間。だから霊長。
「気」はすべてうごかなければならない。「気」が動こうとするときに現れる現象をアイディアという、人で言うと心である。心は一切の生命の中核をなし、「霊」という「気」の働きを行うために与えられている。心の活動は思うことと考えること。無意識と意識的がある。
心の運用いかんで、肉体、精神生命、一切を決定できる。「人間の心で行う思考は人生の一切を創る」
だからいかなる場合でも消極的な方面から物事を思ってはいけない。人間の心になんらかの観念がでると、その型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働いて形作る。
だから自分の怠らず、注意深く自分の心の中の思い方や考え方を積極的にするよう努力しないといけない。
最後に朝旦偈辞(甦りの)誦句
第1章 生命の力
肉体が自分であると思っている人が多いが、正体は霊魂である。肉体の上体を決めるのは心である。
精神生命には命を活かす力となる宇宙エネルギーを受けいれる第一機能がある。宇宙エネルギーは脳髄から神経系統に送られて命を活かす力となる。
この宇宙エネルギーは哲学では精気、霊気、先天の一気、神とよばれることもある、身心統一法では「宇宙霊」と読んでいる。
人間が生きるためのエネルギーを受け入れる物質として、空気、食物、水、土と太陽光線があるが、原動力は霊魂。
どんな場合にも、人間というものの生命は一切の生命をしのいでいる力の結晶だと正しく思いこんでしまうことが大切。
心は霊魂という気の働きをおこなうための存在であり、心が思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される。だから心の行う思考はすべて個人を通じて宇宙令に通じている。だから思考は人生をつくる。この関係をゆるぎないものにすれば、人間は生命の強さを自由に獲得することができる。宇宙霊と人間の思考が一体であるとわかると、人間自体の生命力の認証を最高度に引き上げた考え方を心にもつことができる。
元気という気が出た時には人間と宇宙令が完全に結びついたことになる。
力の誦句
第2章 人生を支配する法則
現代の教育は科学教育であり、大事な人生に対する案内は理解されていない。
動物・植物・鉱物すべては一つのもの「霊妙」な気が根拠になって生み出されている。気の中に作られたものが存在している。
これを天風哲学では「宇宙霊」と呼ぶ。ただし呼び方はどうでもよい。これは思い込む以外に認定の方法はない。
証拠はつかめないが観念的に想定することはできるし、実際にある。
いつも宇宙霊とともにあるのだとおもうと、心強くなれる。
病や運命を気にしない積極的な心であれば、無念無想に近い状態になり、宇宙にまんべんなく存在している幽玄微妙な気の霊智をうけとることがdけいるが、肉体から発する本能や感覚に心が縛られて心の融通性の極めて低い消極的な個心になると受け入れ態勢を妨害することになり、十分に生命の中に受け入れることができない。それは事実として体験したこと。(結核がなくなったこと)
証拠がないと安心できないというのは大変な間違い、宇宙を物質的に考えようとするから失敗する。大宇宙の根源は非物質的なもの。
人生を左右するのは心ひとつの置き所である。
しかしこの悟りは簡単に与えられると、自分自身が苦労していないので失いやすい。
人間はだれでも経験や学問がなくても完全な人間生活=心身を統一できる人間であればだれでもひとかどの成功ができる。
人間本来の面目に即した活き方「清く、尊く、強く、正しい積極的な心」であれば宇宙からの霊智がたくさん人間の生命の中に送り込まれる。
しかし、感覚の世界で欲と感情に追い回されている人は、自分の心に原因があるとは思わず他に罪があると思ってしまう。
人間の心こそ、宇宙一切の作り主である宇宙大霊と自分の生命本体たる霊魂とを交流結合させる回路である。
この世は本質的に楽しい、うれしい、調和した美しい世界なのに、心の態度しただいで苦しくもなっている。
「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きる」のが天風哲学の最重要点。
人生は原因結果の法則が支配しており「蒔いた種のとおりに花が咲く」
宇宙霊はすべてのものを創り出すため、休むことなく働いている、だから宇宙は常に更新し、進化し、向上しつつある、生命体である。
人間の本質は霊であるので、人間がものを考えるときその背後には宇宙霊とその発する力が十分な用意をして控えている、観念が強烈であるほど活動力を増す。だから常に心の中に積極的な思考や観念を描くことを努力しなければならない。
大切な質問「お前はこの世に何をしにきたか知っているか」、考えるうちに魂の夜明けがきたという。
たどりついた答えは「人間は宇宙の進化と向上に順応するためにうまれてきたのだ」
自分は常に宇宙霊につつまれており、宇宙霊は全知全能の力をもっている、それと結びついている生命をもっている自己も無限大、宇宙で最も優れたものとしてつくられたことを信念としてもてば、幸福になれる。
人生をあまり難しく考えない方がよい。難しく考えるとわからなくなる。真理は足元にあり、高遠な学理の中にあるのではない。軽率な考えではいけないが、学問がある人のほうが、思い違いをしやすい。
思考作用の誦句
第3章 潜在意識とその性能
意識には実在意識と潜在意識がある。
潜在意識は肉体の建設者であり、人生の建設者である。細胞が日々うまれかわり再生されているのに、いつまでも同じ苦しみから逃れられない人は、心の状態が潜在意識に反映されることを理解していない。潜在意識は宇宙霊と結びついて高い程度の作用をする。このため実在意識の態度をコントロールして潜在意識に十分に活動させないといけない。
第4章 言葉と人生
「言葉」は重大な影響をもっている。
人間の精神生命の中には暗示の感受性があり、ものの声に応じたように感じる、すると潜在意識がそのとおりの状態で動き出す。潜在意識は実在意識に影響を与える。
日々の言葉が実在意識の態度を決定し、強烈な暗示になる。
人生というものは言葉で哲学化され科学化されている。言葉は人生を左右する。
消極的な言葉は使わない。「疲れた、死にそうだ、もうだめだ」
積極的な言葉を使う。「大丈夫だ、心配するな、元気だ」
「こうするからできない」ではなく「こうすればできる」
勇気や喜びを与える言葉をお互いに話し合うようにしよう。
言葉の誦句
第5章 大いなる悟り
心は宇宙より広い。
あなたの自我の中には造物主の無限の属性が宿っている。
造物主と自分の生命の結び目を堅固に確保することが大切。そうしないと病や不運がくる。それらは他に原因があるのでなく、自分の心のありようである。
造物主の心は絶対に積極的で「真」「善」「美」しかない。そして分け隔てしない。これに自分の心を同化させることでその結び目は強くなる。それが正しい活き方である。
あなた方はみなどんな偉人とも同じだけの値打ちを持っているが、心の運用で結果がちがっている。
天風哲学では5日間で心を積極的にする方法を教えている。あとはやればよい。
病になろうと不運になろうと心の態度は崩さないこと、人間生まれた以上死ぬときは死ぬ。心を積極的に磨いて、宇宙エネルギーの分派分量をいただいていることを感謝しよう。
心を積極的に保つと要らないものを忘れ、いることだけを覚えているようになる。要らないことを覚えているから大切なものが覚えられないのだ。
大偈の辞
第6章 人生と運命
運命には天命と宿命がある。
天命は絶対で、宿命は相対。
現代では宿命ですらちょっと努力してだめだと天命だといってあきらめてしまう。
自己の無自覚と、神経過敏の心が人生をくだらない、価値のない哀れなものにしている。これらの人は迷信にたよりやすい。大安や友引、姓名判断、方角などいうものは心はチンパンジーより劣っている。そんなものは人生を不自由にするだけ。
すべては自分の心を積極的にするかどうかであり、そうすることで宿命は打破できる。
感情はおきるのはしかたないが、いつまでもしがみついている必要はない。しがみつくのは自分の方である。
どんな場合があっても心がいつまでも長くひっかかっているを執着という。
心に消極的な気持ち(怒りや悲しみねたみ)があるときはそれを遠ざけて積極的な気持ちになるように努力しよう。心に感謝と歓喜の感情をもたせるように心がけよう。感謝することは必ずある。病だって気づきを与えてくれる感謝するべきものだ。失敗は間違いを気が付かせてくれるものだ。
美しくない感情は悪魔。
歓喜には肉体的と精神的があり、精神的なほうがはるかに高い。精神的歓喜の最高のものを喜びを分かち合うこと。
心は人の生命と宇宙霊のハーモニーを合わせるダイヤル。
歓喜が宇宙霊から自己の生命のなかに力を誘導する。
迷信に陥らない強い心をもち、ニコニコ笑って生きるように積極的な心でいよう。「人生は心ひとつの置き所」
運命の誦句
第7章 人間の生命の本来の面目
人間の本来の面目は「創造の生活」人間は進化と向上のために生まれたから。
どんな人間も「完全につくりあげたい」という欲求があり、それは自然に与えられた活動能力である。これを確実に応用すれば、丈夫で成功できる。
歳をとるとこの創造の意欲がうすくなるが、それは程度が低い。また希望がピンボケで、だらしなく生きているのも無価値な人生である。だからといって、いやしい希望や汚れた欲望から出発した創造意欲や創作意欲は断固排斥するべし。そうした希望や意欲は満たされない場合が多く、満たされても価値のない人生になりがちだから。自分の生命や貫禄、力量を度外視した考え方は自己本位で低級な欲望。目標として自分の創造意欲に火をつけるべきは「自己向上」である。
そもそもいつまで生きるかわからないのに、歳を考えてうんぬんするのは過ち、一日一刻を完全に生きることが貴重な生命を与えてくれた創造主への正当な義務。われわれの生命はいつも伸びよう伸びようとしているのである。
運命の良くない時に運命にこだれば運命にまけてしまう。病気のときは病気を忘れよ。
生きている間は造物主からの力を受け入れる口を自分で広く、伸び伸びと広げよう。常に自己向上を意欲として、健康や運命を完全にする本当の成功を自分で作ろう。
統一箴言
第8章 人生の羅針盤
人生で大切なのは信念をもつこと。疑いだせば不安はきりもない。
ただし合理的な信念でなければ盲信となる。
天風哲学では鏡を用いた合理的な方法で信念の渙発方法を教えている、これを実行せよ。
そうすれば雑念妄想をおさえて心の正体をだし、颯爽溌剌たる人生を活きることができる。
信念がなければ、どんなに金があろうが、学問ができようが、薄氷の上に人生である。
信念は本来の生きる力なのだから渙発されたくてうずうずしている、誦句をとなえ、どんなときでも信念を失うまいと宇宙霊と約束実行しよう。
天風本人も本当の気持ちで人のためを思ってする仕事だからダメなわけわないと、人にとめられるのも聞かず身心統一法を広める道にはいったという、
真理に国境はない、自然の摂理に従い、自分だけでなく世の人を幸福にするために活きてこそこの世に生まれた買いがある。信念の人となれ。
信念の誦句
第9章 第一義的な活き方
理想的な安定打坐は眼を開いていても、仕事をしていても、その刹那に心耳を澄まし、空の声をきけば安定打坐になれる。静かに座禅を組むのは練習、本来の目的は日常におこなえるようになること。
見るもの、聞くもの、触れるものを皆自分の人生に交渉を持つようにするのはいけない。それは執着であり雑念。要らないことに心を脅かされてはいけない。
病があろうと不運であろうと、そのいっさいに対して心の力で句を楽しむ境涯に活きる活き方をすること、これが第一義的な活き方。
それには根本的に積極的になること、不快なものにとりあわず、常に幸福の方面から物事を考えて感謝し、満足して生きること。
報いを求めるのはいやしい行為である。幸福の為にやるというのも間違っている。人間として当然のことをやっているだけなのだ。
常に「真=まこと、善、美=調和」以外には心を使わない、考えない。宇宙霊には「真、善、美」意外ないので。宇宙霊と同じきもちでいよう。
自分だけがよくなればいいという考えでなく、世界中よくなるというでっかい欲望をもて。
それが日本を輝かしい国にする。
座右箴言
第10章 恐怖への戒め
ものごとに恐怖すると、人生によくない結果が来るのは因果律の法則で、宇宙真理でそうなっているから。
物事を恐怖観念で考えるのは宇宙霊と人間との関係を強く信じる信念が欠けているから。
恐怖がでてきたらクバハカでふきとばせ
恐怖観念撃退の誦句
第11章 勇気と不幸福撃退
人間は悩むためにうまれてきたのではない。悲観したり心配したりしてすべてのことを消極的に考えるのはやめるべき。
大宇宙の精気は積極的に考えればプラスが、消極的に考えればマイナスが入ってくる。
人間は面目を発揮しているときだけ、人間の幸福が与えられる。
同情は、他人の言葉や行為に自分の心が影響されること。
忠告はきくきかないは相手の自由。
心を積極的にする要点は勇気の渙発。
勇気さえ心から失わなければ、何事もこの世に怖がるものはない。
寝る前に誦句を読んで気持ちの掃除をし、勇気ある自分を作ろう
不幸福撃退の誦句
第12章 理想と想像
哲学でいえば理想は立派な宗教。理想が楽しければ楽しいほど、神や仏がなくても自己自身の人格の全体が立派なものにされるから。理想の階級が高く積極的であるほど、その人は非常なナマ生として勇ましさで人生を常に生きられる。
理想のない人生は哀れで惨憺たるものである。
宇宙本体の力は人間の心の状態を鋳型としてそれを実現化させる自然現象を表す、だから理想をもっていることが大事だ。
不都合や不満があれば、そういう方面から考えないで、それが完全にできた姿を心に描きなさい。 人間の心の中に描かれた想像が人類進歩の源泉である。
観念の世界は自由であるが、自己監督で宇宙のプラスの力を引き出す理想の高いものを描かないといけない。健康な体を作って、人の世の為に現実の貢献をしようというの階級が高い。
想像力の誦句
理想の誦句
第13章 一念不動
人生を幸福にする原則のうちでもっとも必要な原則は、いったん自分の描いた理想は、一念不動の状態で固く把持して変更しないこと。
ことあるごとに、自分の希望するところ、求るところのものを「実現する!実現する!」と自己自身にいう、そうすれば宇宙霊は自然的な経路で自動的にその求ることを実現してくる。
恐怖や変更をすることなく信念強くその実現を待てば、思考は必ず成就実現される
一念不動の誦句
修道大悟の誦句
柳川藩士中村祐興の三男で東京の王子でうまれ、粗暴だからというので、小学校を卒業すると福岡の修猷館にいれられた。そこでけんか相手を刺殺して、退学。福岡の壮士の集団玄洋社に預けられる。ここで師と仰ぐ遠山満とであう。
その後陸軍中佐河野金吾のかばん持ちとして遼東半島でスパイ活動をし、その後軍事探偵としてハルピン方面を探索。一度は敵の手におちるが部下に救い出され生還。その後奔馬性の肺結核にかかり北里博士の治療などをうけるが回復せず、世界に救いをもとめアメリカからヨーロッパをまわり、なかなか納得できず日本に帰ろうと乗った貨物船でインドのヨガの聖人とあい、ヒマラヤのカンチュンジュンガのふもとの村で修業、悟りをひらき日本に帰国。
実業界で活躍していたが、ある日すべてをすてて街頭で身心統一法を説くようになる。そして92歳で生涯をおえるまでたくさんの人たちに身心統一法を伝える活動を行った。
この本は天風の講話をまとめたもの
真理瞑想行・・・人生に対する自覚と反省を促し、現在ある命をよりよく有意義に活かすのに必要な基礎的考えを正確に作り上げることを目的としている。本来は与えられた問題を誰にも教えられずに自分なりに何年でも考えるというのが本当の方法だが、それだと半分も解決できないであろうから、悟りをひらいたものから伝える。しかし、この方法だと苦心していないので、得たものが無になるおそれがある。安定打坐でこき悪露をきれいにして受け入れ、ヒマラヤの奥地ので心理にとりくんでいる気持ちで聞いてほしい。安定打坐には雑念をふりほどく力があるので、真剣におこなう人ほど、悟りが早い。内容をわかろうとしないで、ただ受け入れるのが大切である。
序章 朝旦偈辞
人間として生まれたからには自分の命の中に与えられた力の法則を正しく理解して生きること。
我々のうけた教育が科学に偏っているので哲学的思考になれていない。哲学は現象を遡りその原因を追究する学問。
形のある宇宙ができる前にすでに形のない宇宙があった、一番根本は実在から生み出されたもの。ただ一つのエネルギーを生み出すものが宇宙をつくりだした。
一番いけないのは五感が察知できないものをないと思うこと。空気や電波も察知できないがある。
たった一つの宇宙の生み出したものが森羅万象。死はここに還元されること。
人間は板靴の中で宇宙本体の分派分量を一番うけているのが人間。だから霊長。
「気」はすべてうごかなければならない。「気」が動こうとするときに現れる現象をアイディアという、人で言うと心である。心は一切の生命の中核をなし、「霊」という「気」の働きを行うために与えられている。心の活動は思うことと考えること。無意識と意識的がある。
心の運用いかんで、肉体、精神生命、一切を決定できる。「人間の心で行う思考は人生の一切を創る」
だからいかなる場合でも消極的な方面から物事を思ってはいけない。人間の心になんらかの観念がでると、その型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働いて形作る。
だから自分の怠らず、注意深く自分の心の中の思い方や考え方を積極的にするよう努力しないといけない。
最後に朝旦偈辞(甦りの)誦句
第1章 生命の力
肉体が自分であると思っている人が多いが、正体は霊魂である。肉体の上体を決めるのは心である。
精神生命には命を活かす力となる宇宙エネルギーを受けいれる第一機能がある。宇宙エネルギーは脳髄から神経系統に送られて命を活かす力となる。
この宇宙エネルギーは哲学では精気、霊気、先天の一気、神とよばれることもある、身心統一法では「宇宙霊」と読んでいる。
人間が生きるためのエネルギーを受け入れる物質として、空気、食物、水、土と太陽光線があるが、原動力は霊魂。
どんな場合にも、人間というものの生命は一切の生命をしのいでいる力の結晶だと正しく思いこんでしまうことが大切。
心は霊魂という気の働きをおこなうための存在であり、心が思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される。だから心の行う思考はすべて個人を通じて宇宙令に通じている。だから思考は人生をつくる。この関係をゆるぎないものにすれば、人間は生命の強さを自由に獲得することができる。宇宙霊と人間の思考が一体であるとわかると、人間自体の生命力の認証を最高度に引き上げた考え方を心にもつことができる。
元気という気が出た時には人間と宇宙令が完全に結びついたことになる。
力の誦句
第2章 人生を支配する法則
現代の教育は科学教育であり、大事な人生に対する案内は理解されていない。
動物・植物・鉱物すべては一つのもの「霊妙」な気が根拠になって生み出されている。気の中に作られたものが存在している。
これを天風哲学では「宇宙霊」と呼ぶ。ただし呼び方はどうでもよい。これは思い込む以外に認定の方法はない。
証拠はつかめないが観念的に想定することはできるし、実際にある。
いつも宇宙霊とともにあるのだとおもうと、心強くなれる。
病や運命を気にしない積極的な心であれば、無念無想に近い状態になり、宇宙にまんべんなく存在している幽玄微妙な気の霊智をうけとることがdけいるが、肉体から発する本能や感覚に心が縛られて心の融通性の極めて低い消極的な個心になると受け入れ態勢を妨害することになり、十分に生命の中に受け入れることができない。それは事実として体験したこと。(結核がなくなったこと)
証拠がないと安心できないというのは大変な間違い、宇宙を物質的に考えようとするから失敗する。大宇宙の根源は非物質的なもの。
人生を左右するのは心ひとつの置き所である。
しかしこの悟りは簡単に与えられると、自分自身が苦労していないので失いやすい。
人間はだれでも経験や学問がなくても完全な人間生活=心身を統一できる人間であればだれでもひとかどの成功ができる。
人間本来の面目に即した活き方「清く、尊く、強く、正しい積極的な心」であれば宇宙からの霊智がたくさん人間の生命の中に送り込まれる。
しかし、感覚の世界で欲と感情に追い回されている人は、自分の心に原因があるとは思わず他に罪があると思ってしまう。
人間の心こそ、宇宙一切の作り主である宇宙大霊と自分の生命本体たる霊魂とを交流結合させる回路である。
この世は本質的に楽しい、うれしい、調和した美しい世界なのに、心の態度しただいで苦しくもなっている。
「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きる」のが天風哲学の最重要点。
人生は原因結果の法則が支配しており「蒔いた種のとおりに花が咲く」
宇宙霊はすべてのものを創り出すため、休むことなく働いている、だから宇宙は常に更新し、進化し、向上しつつある、生命体である。
人間の本質は霊であるので、人間がものを考えるときその背後には宇宙霊とその発する力が十分な用意をして控えている、観念が強烈であるほど活動力を増す。だから常に心の中に積極的な思考や観念を描くことを努力しなければならない。
大切な質問「お前はこの世に何をしにきたか知っているか」、考えるうちに魂の夜明けがきたという。
たどりついた答えは「人間は宇宙の進化と向上に順応するためにうまれてきたのだ」
自分は常に宇宙霊につつまれており、宇宙霊は全知全能の力をもっている、それと結びついている生命をもっている自己も無限大、宇宙で最も優れたものとしてつくられたことを信念としてもてば、幸福になれる。
人生をあまり難しく考えない方がよい。難しく考えるとわからなくなる。真理は足元にあり、高遠な学理の中にあるのではない。軽率な考えではいけないが、学問がある人のほうが、思い違いをしやすい。
思考作用の誦句
第3章 潜在意識とその性能
意識には実在意識と潜在意識がある。
潜在意識は肉体の建設者であり、人生の建設者である。細胞が日々うまれかわり再生されているのに、いつまでも同じ苦しみから逃れられない人は、心の状態が潜在意識に反映されることを理解していない。潜在意識は宇宙霊と結びついて高い程度の作用をする。このため実在意識の態度をコントロールして潜在意識に十分に活動させないといけない。
第4章 言葉と人生
「言葉」は重大な影響をもっている。
人間の精神生命の中には暗示の感受性があり、ものの声に応じたように感じる、すると潜在意識がそのとおりの状態で動き出す。潜在意識は実在意識に影響を与える。
日々の言葉が実在意識の態度を決定し、強烈な暗示になる。
人生というものは言葉で哲学化され科学化されている。言葉は人生を左右する。
消極的な言葉は使わない。「疲れた、死にそうだ、もうだめだ」
積極的な言葉を使う。「大丈夫だ、心配するな、元気だ」
「こうするからできない」ではなく「こうすればできる」
勇気や喜びを与える言葉をお互いに話し合うようにしよう。
言葉の誦句
第5章 大いなる悟り
心は宇宙より広い。
あなたの自我の中には造物主の無限の属性が宿っている。
造物主と自分の生命の結び目を堅固に確保することが大切。そうしないと病や不運がくる。それらは他に原因があるのでなく、自分の心のありようである。
造物主の心は絶対に積極的で「真」「善」「美」しかない。そして分け隔てしない。これに自分の心を同化させることでその結び目は強くなる。それが正しい活き方である。
あなた方はみなどんな偉人とも同じだけの値打ちを持っているが、心の運用で結果がちがっている。
天風哲学では5日間で心を積極的にする方法を教えている。あとはやればよい。
病になろうと不運になろうと心の態度は崩さないこと、人間生まれた以上死ぬときは死ぬ。心を積極的に磨いて、宇宙エネルギーの分派分量をいただいていることを感謝しよう。
心を積極的に保つと要らないものを忘れ、いることだけを覚えているようになる。要らないことを覚えているから大切なものが覚えられないのだ。
大偈の辞
第6章 人生と運命
運命には天命と宿命がある。
天命は絶対で、宿命は相対。
現代では宿命ですらちょっと努力してだめだと天命だといってあきらめてしまう。
自己の無自覚と、神経過敏の心が人生をくだらない、価値のない哀れなものにしている。これらの人は迷信にたよりやすい。大安や友引、姓名判断、方角などいうものは心はチンパンジーより劣っている。そんなものは人生を不自由にするだけ。
すべては自分の心を積極的にするかどうかであり、そうすることで宿命は打破できる。
感情はおきるのはしかたないが、いつまでもしがみついている必要はない。しがみつくのは自分の方である。
どんな場合があっても心がいつまでも長くひっかかっているを執着という。
心に消極的な気持ち(怒りや悲しみねたみ)があるときはそれを遠ざけて積極的な気持ちになるように努力しよう。心に感謝と歓喜の感情をもたせるように心がけよう。感謝することは必ずある。病だって気づきを与えてくれる感謝するべきものだ。失敗は間違いを気が付かせてくれるものだ。
美しくない感情は悪魔。
歓喜には肉体的と精神的があり、精神的なほうがはるかに高い。精神的歓喜の最高のものを喜びを分かち合うこと。
心は人の生命と宇宙霊のハーモニーを合わせるダイヤル。
歓喜が宇宙霊から自己の生命のなかに力を誘導する。
迷信に陥らない強い心をもち、ニコニコ笑って生きるように積極的な心でいよう。「人生は心ひとつの置き所」
運命の誦句
第7章 人間の生命の本来の面目
人間の本来の面目は「創造の生活」人間は進化と向上のために生まれたから。
どんな人間も「完全につくりあげたい」という欲求があり、それは自然に与えられた活動能力である。これを確実に応用すれば、丈夫で成功できる。
歳をとるとこの創造の意欲がうすくなるが、それは程度が低い。また希望がピンボケで、だらしなく生きているのも無価値な人生である。だからといって、いやしい希望や汚れた欲望から出発した創造意欲や創作意欲は断固排斥するべし。そうした希望や意欲は満たされない場合が多く、満たされても価値のない人生になりがちだから。自分の生命や貫禄、力量を度外視した考え方は自己本位で低級な欲望。目標として自分の創造意欲に火をつけるべきは「自己向上」である。
そもそもいつまで生きるかわからないのに、歳を考えてうんぬんするのは過ち、一日一刻を完全に生きることが貴重な生命を与えてくれた創造主への正当な義務。われわれの生命はいつも伸びよう伸びようとしているのである。
運命の良くない時に運命にこだれば運命にまけてしまう。病気のときは病気を忘れよ。
生きている間は造物主からの力を受け入れる口を自分で広く、伸び伸びと広げよう。常に自己向上を意欲として、健康や運命を完全にする本当の成功を自分で作ろう。
統一箴言
第8章 人生の羅針盤
人生で大切なのは信念をもつこと。疑いだせば不安はきりもない。
ただし合理的な信念でなければ盲信となる。
天風哲学では鏡を用いた合理的な方法で信念の渙発方法を教えている、これを実行せよ。
そうすれば雑念妄想をおさえて心の正体をだし、颯爽溌剌たる人生を活きることができる。
信念がなければ、どんなに金があろうが、学問ができようが、薄氷の上に人生である。
信念は本来の生きる力なのだから渙発されたくてうずうずしている、誦句をとなえ、どんなときでも信念を失うまいと宇宙霊と約束実行しよう。
天風本人も本当の気持ちで人のためを思ってする仕事だからダメなわけわないと、人にとめられるのも聞かず身心統一法を広める道にはいったという、
真理に国境はない、自然の摂理に従い、自分だけでなく世の人を幸福にするために活きてこそこの世に生まれた買いがある。信念の人となれ。
信念の誦句
第9章 第一義的な活き方
理想的な安定打坐は眼を開いていても、仕事をしていても、その刹那に心耳を澄まし、空の声をきけば安定打坐になれる。静かに座禅を組むのは練習、本来の目的は日常におこなえるようになること。
見るもの、聞くもの、触れるものを皆自分の人生に交渉を持つようにするのはいけない。それは執着であり雑念。要らないことに心を脅かされてはいけない。
病があろうと不運であろうと、そのいっさいに対して心の力で句を楽しむ境涯に活きる活き方をすること、これが第一義的な活き方。
それには根本的に積極的になること、不快なものにとりあわず、常に幸福の方面から物事を考えて感謝し、満足して生きること。
報いを求めるのはいやしい行為である。幸福の為にやるというのも間違っている。人間として当然のことをやっているだけなのだ。
常に「真=まこと、善、美=調和」以外には心を使わない、考えない。宇宙霊には「真、善、美」意外ないので。宇宙霊と同じきもちでいよう。
自分だけがよくなればいいという考えでなく、世界中よくなるというでっかい欲望をもて。
それが日本を輝かしい国にする。
座右箴言
第10章 恐怖への戒め
ものごとに恐怖すると、人生によくない結果が来るのは因果律の法則で、宇宙真理でそうなっているから。
物事を恐怖観念で考えるのは宇宙霊と人間との関係を強く信じる信念が欠けているから。
恐怖がでてきたらクバハカでふきとばせ
恐怖観念撃退の誦句
第11章 勇気と不幸福撃退
人間は悩むためにうまれてきたのではない。悲観したり心配したりしてすべてのことを消極的に考えるのはやめるべき。
大宇宙の精気は積極的に考えればプラスが、消極的に考えればマイナスが入ってくる。
人間は面目を発揮しているときだけ、人間の幸福が与えられる。
同情は、他人の言葉や行為に自分の心が影響されること。
忠告はきくきかないは相手の自由。
心を積極的にする要点は勇気の渙発。
勇気さえ心から失わなければ、何事もこの世に怖がるものはない。
寝る前に誦句を読んで気持ちの掃除をし、勇気ある自分を作ろう
不幸福撃退の誦句
第12章 理想と想像
哲学でいえば理想は立派な宗教。理想が楽しければ楽しいほど、神や仏がなくても自己自身の人格の全体が立派なものにされるから。理想の階級が高く積極的であるほど、その人は非常なナマ生として勇ましさで人生を常に生きられる。
理想のない人生は哀れで惨憺たるものである。
宇宙本体の力は人間の心の状態を鋳型としてそれを実現化させる自然現象を表す、だから理想をもっていることが大事だ。
不都合や不満があれば、そういう方面から考えないで、それが完全にできた姿を心に描きなさい。 人間の心の中に描かれた想像が人類進歩の源泉である。
観念の世界は自由であるが、自己監督で宇宙のプラスの力を引き出す理想の高いものを描かないといけない。健康な体を作って、人の世の為に現実の貢献をしようというの階級が高い。
想像力の誦句
理想の誦句
第13章 一念不動
人生を幸福にする原則のうちでもっとも必要な原則は、いったん自分の描いた理想は、一念不動の状態で固く把持して変更しないこと。
ことあるごとに、自分の希望するところ、求るところのものを「実現する!実現する!」と自己自身にいう、そうすれば宇宙霊は自然的な経路で自動的にその求ることを実現してくる。
恐怖や変更をすることなく信念強くその実現を待てば、思考は必ず成就実現される
一念不動の誦句
修道大悟の誦句
中村天風こと中村三郎の生い立ちが小伝としてまとまっていた。
柳川藩士中村祐興の三男で東京の王子でうまれ、粗暴だからというので、小学校を卒業すると福岡の修猷館にいれられた。そこでけんか相手を刺殺して、退学。福岡の壮士の集団玄洋社に預けられる。ここで師と仰ぐ遠山満とであう。
その後陸軍中佐河野金吾のかばん持ちとして遼東半島でスパイ活動をし、その後軍事探偵としてハルピン方面を探索。一度は敵の手におちるが部下に救い出され生還。その後奔馬性の肺結核にかかり北里博士の治療などをうけるが回復せず、世界に救いをもとめアメリカからヨーロッパをまわり、なかなか納得できず日本に帰ろうと乗った貨物船でインドのヨガの聖人とあい、ヒマラヤのカンチュンジュンガのふもとの村で修業、悟りをひらき日本に帰国。
実業界で活躍していたが、ある日すべてをすてて街頭で身心統一法を説くようになる。そして92歳で生涯をおえるまでたくさんの人たちに身心統一法を伝える活動を行った。
この本は天風の講話をまとめたもの
真理瞑想行・・・人生に対する自覚と反省を促し、現在ある命をよりよく有意義に活かすのに必要な基礎的考えを正確に作り上げることを目的としている。本来は与えられた問題を誰にも教えられずに自分なりに何年でも考えるというのが本当の方法だが、それだと半分も解決できないであろうから、悟りをひらいたものから伝える。しかし、この方法だと苦心していないので、得たものが無になるおそれがある。安定打坐でこき悪露をきれいにして受け入れ、ヒマラヤの奥地ので心理にとりくんでいる気持ちで聞いてほしい。安定打坐には雑念をふりほどく力があるので、真剣におこなう人ほど、悟りが早い。内容をわかろうとしないで、ただ受け入れるのが大切である。
序章 朝旦偈辞
人間として生まれたからには自分の命の中に与えられた力の法則を正しく理解して生きること。
我々のうけた教育が科学に偏っているので哲学的思考になれていない。哲学は現象を遡りその原因を追究する学問。
形のある宇宙ができる前にすでに形のない宇宙があった、一番根本は実在から生み出されたもの。ただ一つのエネルギーを生み出すものが宇宙をつくりだした。
一番いけないのは五感が察知できないものをないと思うこと。空気や電波も察知できないがある。
たった一つの宇宙の生み出したものが森羅万象。死はここに還元されること。
人間は板靴の中で宇宙本体の分派分量を一番うけているのが人間。だから霊長。
「気」はすべてうごかなければならない。「気」が動こうとするときに現れる現象をアイディアという、人で言うと心である。心は一切の生命の中核をなし、「霊」という「気」の働きを行うために与えられている。心の活動は思うことと考えること。無意識と意識的がある。
心の運用いかんで、肉体、精神生命、一切を決定できる。「人間の心で行う思考は人生の一切を創る」
だからいかなる場合でも消極的な方面から物事を思ってはいけない。人間の心になんらかの観念がでると、その型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働いて形作る。
だから自分の怠らず、注意深く自分の心の中の思い方や考え方を積極的にするよう努力しないといけない。
最後に朝旦偈辞(甦りの)誦句
第1章 生命の力
肉体が自分であると思っている人が多いが、正体は霊魂である。肉体の上体を決めるのは心である。
精神生命には命を活かす力となる宇宙エネルギーを受けいれる第一機能がある。宇宙エネルギーは脳髄から神経系統に送られて命を活かす力となる。
この宇宙エネルギーは哲学では精気、霊気、先天の一気、神とよばれることもある、身心統一法では「宇宙霊」と読んでいる。
人間が生きるためのエネルギーを受け入れる物質として、空気、食物、水、土と太陽光線があるが、原動力は霊魂。
どんな場合にも、人間というものの生命は一切の生命をしのいでいる力の結晶だと正しく思いこんでしまうことが大切。
心は霊魂という気の働きをおこなうための存在であり、心が思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される。だから心の行う思考はすべて個人を通じて宇宙令に通じている。だから思考は人生をつくる。この関係をゆるぎないものにすれば、人間は生命の強さを自由に獲得することができる。宇宙霊と人間の思考が一体であるとわかると、人間自体の生命力の認証を最高度に引き上げた考え方を心にもつことができる。
元気という気が出た時には人間と宇宙令が完全に結びついたことになる。
力の誦句
第2章 人生を支配する法則
現代の教育は科学教育であり、大事な人生に対する案内は理解されていない。
動物・植物・鉱物すべては一つのもの「霊妙」な気が根拠になって生み出されている。気の中に作られたものが存在している。
これを天風哲学では「宇宙霊」と呼ぶ。ただし呼び方はどうでもよい。これは思い込む以外に認定の方法はない。
証拠はつかめないが観念的に想定することはできるし、実際にある。
いつも宇宙霊とともにあるのだとおもうと、心強くなれる。
病や運命を気にしない積極的な心であれば、無念無想に近い状態になり、宇宙にまんべんなく存在している幽玄微妙な気の霊智をうけとることがdけいるが、肉体から発する本能や感覚に心が縛られて心の融通性の極めて低い消極的な個心になると受け入れ態勢を妨害することになり、十分に生命の中に受け入れることができない。それは事実として体験したこと。(結核がなくなったこと)
証拠がないと安心できないというのは大変な間違い、宇宙を物質的に考えようとするから失敗する。大宇宙の根源は非物質的なもの。
人生を左右するのは心ひとつの置き所である。
しかしこの悟りは簡単に与えられると、自分自身が苦労していないので失いやすい。
人間はだれでも経験や学問がなくても完全な人間生活=心身を統一できる人間であればだれでもひとかどの成功ができる。
人間本来の面目に即した活き方「清く、尊く、強く、正しい積極的な心」であれば宇宙からの霊智がたくさん人間の生命の中に送り込まれる。
しかし、感覚の世界で欲と感情に追い回されている人は、自分の心に原因があるとは思わず他に罪があると思ってしまう。
人間の心こそ、宇宙一切の作り主である宇宙大霊と自分の生命本体たる霊魂とを交流結合させる回路である。
この世は本質的に楽しい、うれしい、調和した美しい世界なのに、心の態度しただいで苦しくもなっている。
「いかなる場合にも、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を活きる」のが天風哲学の最重要点。
人生は原因結果の法則が支配しており「蒔いた種のとおりに花が咲く」
宇宙霊はすべてのものを創り出すため、休むことなく働いている、だから宇宙は常に更新し、進化し、向上しつつある、生命体である。
人間の本質は霊であるので、人間がものを考えるときその背後には宇宙霊とその発する力が十分な用意をして控えている、観念が強烈であるほど活動力を増す。だから常に心の中に積極的な思考や観念を描くことを努力しなければならない。
大切な質問「お前はこの世に何をしにきたか知っているか」、考えるうちに魂の夜明けがきたという。
たどりついた答えは「人間は宇宙の進化と向上に順応するためにうまれてきたのだ」
自分は常に宇宙霊につつまれており、宇宙霊は全知全能の力をもっている、それと結びついている生命をもっている自己も無限大、宇宙で最も優れたものとしてつくられたことを信念としてもてば、幸福になれる。
人生をあまり難しく考えない方がよい。難しく考えるとわからなくなる。真理は足元にあり、高遠な学理の中にあるのではない。軽率な考えではいけないが、学問がある人のほうが、思い違いをしやすい。
思考作用の誦句
第3章 潜在意識とその性能
意識には実在意識と潜在意識がある。
潜在意識は肉体の建設者であり、人生の建設者である。細胞が日々うまれかわり再生されているのに、いつまでも同じ苦しみから逃れられない人は、心の状態が潜在意識に反映されることを理解していない。潜在意識は宇宙霊と結びついて高い程度の作用をする。このため実在意識の態度をコントロールして潜在意識に十分に活動させないといけない。
第4章 言葉と人生
「言葉」は重大な影響をもっている。
人間の精神生命の中には暗示の感受性があり、ものの声に応じたように感じる、すると潜在意識がそのとおりの状態で動き出す。潜在意識は実在意識に影響を与える。
日々の言葉が実在意識の態度を決定し、強烈な暗示になる。
人生というものは言葉で哲学化され科学化されている。言葉は人生を左右する。
消極的な言葉は使わない。「疲れた、死にそうだ、もうだめだ」
積極的な言葉を使う。「大丈夫だ、心配するな、元気だ」
「こうするからできない」ではなく「こうすればできる」
勇気や喜びを与える言葉をお互いに話し合うようにしよう。
言葉の誦句
第5章 大いなる悟り
心は宇宙より広い。
あなたの自我の中には造物主の無限の属性が宿っている。
造物主と自分の生命の結び目を堅固に確保することが大切。そうしないと病や不運がくる。それらは他に原因があるのでなく、自分の心のありようである。
造物主の心は絶対に積極的で「真」「善」「美」しかない。そして分け隔てしない。これに自分の心を同化させることでその結び目は強くなる。それが正しい活き方である。
あなた方はみなどんな偉人とも同じだけの値打ちを持っているが、心の運用で結果がちがっている。
天風哲学では5日間で心を積極的にする方法を教えている。あとはやればよい。
病になろうと不運になろうと心の態度は崩さないこと、人間生まれた以上死ぬときは死ぬ。心を積極的に磨いて、宇宙エネルギーの分派分量をいただいていることを感謝しよう。
心を積極的に保つと要らないものを忘れ、いることだけを覚えているようになる。要らないことを覚えているから大切なものが覚えられないのだ。
大偈の辞
第6章 人生と運命
運命には天命と宿命がある。
天命は絶対で、宿命は相対。
現代では宿命ですらちょっと努力してだめだと天命だといってあきらめてしまう。
自己の無自覚と、神経過敏の心が人生をくだらない、価値のない哀れなものにしている。これらの人は迷信にたよりやすい。大安や友引、姓名判断、方角などいうものは心はチンパンジーより劣っている。そんなものは人生を不自由にするだけ。
すべては自分の心を積極的にするかどうかであり、そうすることで宿命は打破できる。
感情はおきるのはしかたないが、いつまでもしがみついている必要はない。しがみつくのは自分の方である。
どんな場合があっても心がいつまでも長くひっかかっているを執着という。
心に消極的な気持ち(怒りや悲しみねたみ)があるときはそれを遠ざけて積極的な気持ちになるように努力しよう。心に感謝と歓喜の感情をもたせるように心がけよう。感謝することは必ずある。病だって気づきを与えてくれる感謝するべきものだ。失敗は間違いを気が付かせてくれるものだ。
美しくない感情は悪魔。
歓喜には肉体的と精神的があり、精神的なほうがはるかに高い。精神的歓喜の最高のものを喜びを分かち合うこと。
心は人の生命と宇宙霊のハーモニーを合わせるダイヤル。
歓喜が宇宙霊から自己の生命のなかに力を誘導する。
迷信に陥らない強い心をもち、ニコニコ笑って生きるように積極的な心でいよう。「人生は心ひとつの置き所」
運命の誦句
第7章 人間の生命の本来の面目
人間の本来の面目は「創造の生活」人間は進化と向上のために生まれたから。
どんな人間も「完全につくりあげたい」という欲求があり、それは自然に与えられた活動能力である。これを確実に応用すれば、丈夫で成功できる。
歳をとるとこの創造の意欲がうすくなるが、それは程度が低い。また希望がピンボケで、だらしなく生きているのも無価値な人生である。だからといって、いやしい希望や汚れた欲望から出発した創造意欲や創作意欲は断固排斥するべし。そうした希望や意欲は満たされない場合が多く、満たされても価値のない人生になりがちだから。自分の生命や貫禄、力量を度外視した考え方は自己本位で低級な欲望。目標として自分の創造意欲に火をつけるべきは「自己向上」である。
そもそもいつまで生きるかわからないのに、歳を考えてうんぬんするのは過ち、一日一刻を完全に生きることが貴重な生命を与えてくれた創造主への正当な義務。われわれの生命はいつも伸びよう伸びようとしているのである。
運命の良くない時に運命にこだれば運命にまけてしまう。病気のときは病気を忘れよ。
生きている間は造物主からの力を受け入れる口を自分で広く、伸び伸びと広げよう。常に自己向上を意欲として、健康や運命を完全にする本当の成功を自分で作ろう。
統一箴言
第8章 人生の羅針盤
人生で大切なのは信念をもつこと。疑いだせば不安はきりもない。
ただし合理的な信念でなければ盲信となる。
天風哲学では鏡を用いた合理的な方法で信念の渙発方法を教えている、これを実行せよ。
そうすれば雑念妄想をおさえて心の正体をだし、颯爽溌剌たる人生を活きることができる。
信念がなければ、どんなに金があろうが、学問ができようが、薄氷の上に人生である。
信念は本来の生きる力なのだから渙発されたくてうずうずしている、誦句をとなえ、どんなときでも信念を失うまいと宇宙霊と約束実行しよう。
天風本人も本当の気持ちで人のためを思ってする仕事だからダメなわけわないと、人にとめられるのも聞かず身心統一法を広める道にはいったという、
真理に国境はない、自然の摂理に従い、自分だけでなく世の人を幸福にするために活きてこそこの世に生まれた買いがある。信念の人となれ。
信念の誦句
第9章 第一義的な活き方
理想的な安定打坐は眼を開いていても、仕事をしていても、その刹那に心耳を澄まし、空の声をきけば安定打坐になれる。静かに座禅を組むのは練習、本来の目的は日常におこなえるようになること。
見るもの、聞くもの、触れるものを皆自分の人生に交渉を持つようにするのはいけない。それは執着であり雑念。要らないことに心を脅かされてはいけない。
病があろうと不運であろうと、そのいっさいに対して心の力で句を楽しむ境涯に活きる活き方をすること、これが第一義的な活き方。
それには根本的に積極的になること、不快なものにとりあわず、常に幸福の方面から物事を考えて感謝し、満足して生きること。
報いを求めるのはいやしい行為である。幸福の為にやるというのも間違っている。人間として当然のことをやっているだけなのだ。
常に「真=まこと、善、美=調和」以外には心を使わない、考えない。宇宙霊には「真、善、美」意外ないので。宇宙霊と同じきもちでいよう。
自分だけがよくなればいいという考えでなく、世界中よくなるというでっかい欲望をもて。
それが日本を輝かしい国にする。
座右箴言
第10章 恐怖への戒め
ものごとに恐怖すると、人生によくない結果が来るのは因果律の法則で、宇宙真理でそうなっているから。
物事を恐怖観念で考えるのは宇宙霊と人間との関係を強く信じる信念が欠けているから。
恐怖がでてきたらクバハカでふきとばせ
恐怖観念撃退の誦句
第11章 勇気と不幸福撃退
人間は悩むためにうまれてきたのではない。悲観したり心配したりしてすべてのことを消極的に考えるのはやめるべき。
大宇宙の精気は積極的に考えればプラスが、消極的に考えればマイナスが入ってくる。
人間は面目を発揮しているときだけ、人間の幸福が与えられる。
同情は、他人の言葉や行為に自分の心が影響されること。
忠告はきくきかないは相手の自由。
心を積極的にする要点は勇気の渙発。
勇気さえ心から失わなければ、何事もこの世に怖がるものはない。
寝る前に誦句を読んで気持ちの掃除をし、勇気ある自分を作ろう
不幸福撃退の誦句
第12章 理想と想像
哲学でいえば理想は立派な宗教。理想が楽しければ楽しいほど、神や仏がなくても自己自身の人格の全体が立派なものにされるから。理想の階級が高く積極的であるほど、その人は非常なナマ生として勇ましさで人生を常に生きられる。
理想のない人生は哀れで惨憺たるものである。
宇宙本体の力は人間の心の状態を鋳型としてそれを実現化させる自然現象を表す、だから理想をもっていることが大事だ。
不都合や不満があれば、そういう方面から考えないで、それが完全にできた姿を心に描きなさい。 人間の心の中に描かれた想像が人類進歩の源泉である。
観念の世界は自由であるが、自己監督で宇宙のプラスの力を引き出す理想の高いものを描かないといけない。健康な体を作って、人の世の為に現実の貢献をしようというの階級が高い。
想像力の誦句
理想の誦句
第13章 一念不動
人生を幸福にする原則のうちでもっとも必要な原則は、いったん自分の描いた理想は、一念不動の状態で固く把持して変更しないこと。
ことあるごとに、自分の希望するところ、求るところのものを「実現する!実現する!」と自己自身にいう、そうすれば宇宙霊は自然的な経路で自動的にその求ることを実現してくる。
恐怖や変更をすることなく信念強くその実現を待てば、思考は必ず成就実現される
一念不動の誦句
修道大悟の誦句
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