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叡智のひびき 天風哲人箴言註釈 [思考]

天風会の機関誌「しるべ」に連載された「箴言注釈」を編集し刊行したもの。

表現や言葉のわかりずらい所は下に注釈がついている。

箴言一
 積極心というと消極心と反対だから心の前に現れるすべてのことに常に拮抗する気分になるが、それは違う。
 真の積極心は常に心が泰然不動の状態であることをいう。病難、運命難であろうとも心がこれを相手にしないで、かかわりを持とうとせず、勝とうとも負けようとも思わず超然としてやすらかでおちついていることが積極心であり心の強さである。
 また、自己がそうなりえるといって、他人の心的態度にたいして寛容さを欠いてはならない。清濁併せのむことが必要。

箴言二
 報償をあてにしてなされる行為は相対的で根本的。
 報償を超越してなされる行為は絶対的で根本的でない。
 報償を求めない行為には「まごころ」がありそれに感応しあたたかいものを感じる、絶対的強さがある。
 それは期待というものがないので失望がないためである。 
 もし、報償を本位とするいやしい心が発生したら、「箱根山、駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を担ぐ人」という古諺をおもいだし、いかにえらくなっても一人ではいきられないことを思い出すといい。

箴言三
 悩みをもつのは当然のことではない。心が統制されていないからである。
 潜在意識の整理が不完全だと、本能心意のなかに「不要残留真意」が存在して、それが恐怖や悲観や憎悪といった消極的感情情念にとなって実在意識領域に発言したのが悩みである。

箴言四
 真実の思いやりを実行している人は少ない。
 思いやりは、「自分が相手の立場にいたらどうであろうか」と考えること。
 自分以外の人の心持を理解しあえるのは人間だけに賦与された能力である。
 もし相手の気持ちになって考えられないのなら、その人の人生観が「自己中心主義」だからである。
 宇宙のすべてのものは「空」から造られる。そしてすべてのものは一切独自に存在しない。厳密に調和して、その存在を確保しあっている。そして調和が破られると常に「空」が修復している。
 これに照らし合わせると、他との協和協調を考えないで活きる「自己中心主義」が決して正当な人生観でないとわかる。

箴言五
 天風教義のなかで感謝観念が大切であることがわかっていても実行できていない人がいる。
 実行できないのは自己完成への情熱がし烈でないから。
 自己完成はもっとも大切なことである、その人生の大事実を簡単に達成できるとおもってはいけない。
 真理を理解した以上は一途にたゆみなく真剣に実行し、感謝をこころがけよ。

箴言六
 天風教義のイデオロギーは、この世に活きる人々が本当に幸福に活きられるような、もっと明るい世界をつくること。
 そのためには人間同士が正しい愛情で愛し合わねばならない。
 正しい愛情は、お互い人間がこうしてこの世に活きて存在しているという犯すべからざる事実をもっと真剣に厳粛に思料して、心の底から生命の存在を尊敬しあうこと。それが宇宙心理。
 呼吸し、飲食し、排泄していれば命が活動するというのが神秘である。その正体は不滅のエネルギーが人間からから人間へ相伝されて現実界に活動している状態である。これが尊敬に値するのである。
 こころの底から「いのち」の生きているという現実を心の底から敬虔な気持ちで尊敬しよう。
 わけへだてない正しい愛情の持ち主となって、明るい世界の現実建設を人生最大の念願としよう。

箴言七
 インドのヨガ哲学は5千数百年という歴史をもつ由緒あるmのであり、そのなかの「クンバハカ密法」はもっとも神聖なる状態という意味で、生命に及ぼす効果事実は極めて超越した尊貴なものである。それは宇宙に遍満存在している精気を収受充満して、全体生命を霊体化するというもの。
 これを普段の努力で続けよ。とくに怒り、悲しみ、恐れという精神的努力で適当に抑制できないときには特に真剣に行うべきである。

箴言八
 不平不満をいうのは恥ずかしいこと。ただの悪習慣である。自己制御できていないのである。
 万一不平不満がでたら、それは恥ずかしいことと強く編成する習慣をもとう

箴言九
 自身が身心統一法を実践し、自身の心の在り方を厳しく監視するのはもちろんだ。
 しかし、みだりに他人を批判するという悪い習慣を少しも気が付かないで是正しないと、事故の心の在り方に対する注意が知らず知らずおろそかになる。

箴言十
 身心統一法はあらたまってやるものではない、日常生活の中でおこなうものである。

箴言十一
 他人の心を消極的にする言動は絶対になすべきでない。
 常に他人の言動を鏡として観察し、積極的か消極的か観察すべきである。
 そうすることで病や運命を克服するような勇気を他人に現実につけてやりえるごとき、こぶ的な奨励的な言行を自己自身が容易になしえるようになる。

箴言十二
 この世に原因のないものは絶対ひとつとして存在しない。
 何人でも何事かをなすときには力と勇気と信念を一体とした心構えがなにより必要な根本原理である。
 その場合、調和を無視してはいけない。 不完全の中には調和が絶対ありえない。
 自己存在のみを重く考えて、事故以外にも人がいるのだという大切なことを重大に考えない人は、調和を無視しているの現実構成がその努力に順応しない。

箴言十三
 世の中の人はもっと生活の中の情味を味わうべき。二度と来ない日を楽しさを感じないでただ活きるための努力をするのは人生を無意味にしてしまうこと。
 多くの人の誤りは生活の情味を物質方面に求めることにある。
 生活の情味は楽しい事柄の中のみにあるのではなく、金や物質の豊かなときにのみあるのではない。悲しい事柄の中にもある。生活の中で広く深く情味を見出すことに努めよ。それは心の力を強めること。どんな人生事情も楽しみに振り替えて息よ。

箴言十四
 天風会の教義の真髄は自主自立。「天は自らたすこるものをたすく」
 「自己の言動にあくまで責任をおう」覚悟がそのなかにないと、自主自立という人間の本来の面目を完全に実行できない。
 自己の言動に対する責任感の薄い人は、ややともすると自己の健康や運命に変調を生じると他に責任を転嫁して、それを間違いだと思わない。
 これは誇るべき天風会員の資格をないがしろにすることである。

箴言十五
 物質本位の生活は満ち足りることが容易でない。満足が一時的である。それは五欲によるものだから。
 人間は楽しみを感じる心が低調になると、苦を感じやすくなる。
 他の人の悦びを自分の悦びと感じられないなら、日々の人生を極めて価値なく活きていること。

箴言十六
 清濁をあわせ呑まない心でこの混沌たる人生に活きると人生世界が極めて狭いものになる。
 いろんな心の人がいるなかで活きていく時、そうめったに自分の気持ちにぴったりと合致する人がいるはずがない。
 それなのに自分に気持ちにマッチしないものは容易に融合しようとしないで反対に排斥する、そういる人に限って他から批判される欠点の多いひとであり、しかも自分できがついていない。
 そもそも生命は短く、すべての人と知り合いになれるわけではない。ならば出会えた人との因縁を無にするには天意への冒涜である。

箴言十七
 積極ということは、その意味の取り方を軽率にすると単なる楽天主義になる。
 そういう人は、いつも自分の心の快適を感じないことには交渉を避けて、気分に適合するものだけを相手にするという、贅沢な活き方をする。これは正しい人間の活き方ではない。

箴言十八
 人を憎んだり恨んだり、悪口や中傷をなす人は、因果応報として己もそうなる。それなのにそれを極度に嫌う。
 こういうことをする人は心に「善」なるものを欠如しているのが原因である。
 生活が善の軌道から外れているとき人生幸福はない。
 自己批判を厳正にして、他人を批判する自分を内省せよ。
 縁を大切にすれば、そういった行動はしなくなるはずである。

箴言十九
 心の在り方を内省検討することは、生命の積極化に肝要ではあるが、我執でおこなわれることがある。
 こうなると自分の心の在り方を、終始自己本位、利害を主眼として検討する態度になってしまい、公正を欠く。
 内省検討を完全に行うには自分の心の在り方を第三者の心の在り方を観察するのと同様にしなければならない。 そして意識は霊性心意識=良心でないといけない。

箴言二十
 反省は自発的で決して他発的ではない。他人に反省は強要できない。
 だから、人に反省をうながして、無視されたからと腹をたてるのはばかげている。

箴言二十一
 病や風におびやかされたとき、これを克服するのに何よりも必要なのは心の力である。
 心の力は精神生活態度が積極的であるときのに渙発される。
 天風会員は明るい住みよい世界を現実に作為しようとしているのだから、病不運にあっている無自覚な人を救う努力をすべし、。
 親切を本位として正しい同情で、落ちている元気を引き立てるための鼓舞と奨励をを現実にする言動をせよ。
 いけないのは、うぬぼれた態度でえらそうに口角泡を飛ばして傲慢な様子でこともなげに説得すること。これではうなずけるものもうなずけない。
 現代の人はみな自分と同じように考えると思っていることを踏まえ、その不明を新設本位で自覚させることが大事。

箴言二十二
 現在の自己の持つ理性意識や感情情念は、明日も同一ではない。
 だからそれらに依存してはいけない。
 本心良心=霊性心意に従うべき。
 
箴言二十三
 真の幸福は心の力で得られる。人生に対する精神態度が人生の幸不幸を決める。
 他人の言葉や言動に自分の心を同化させたり、忠告や親切を無視されて憤るひとがいる。これらは心身相関の真理を知っているのに身についていない人である。

箴言二十四
 せっかく、できるだけと尊く清く活きぬこうとしていたのに、いつのまにか消極的になり怒り悲しむ自分を発見するような経験をするものだ。
 それは油断である。心の明瞭度がピンボケになっていたので、その虚につけいって消極念が実在意識領域に侵入したのだ。
 気が付いたら、後悔よりも、もっと実践躬行するようにわれとわが心に一鞭あてよ。

箴言二十五
 神の心意が真善美であるのは絶体である。
 真と美は本心に固定され善なるものは良心の能動に際して発動する心情である。
 善なるものの真意義は絶対愛の発露された心意、またはその心意を基盤としてなされる行為。
 いついかなるときでも真善美を自己の実際心情として活きること。
 そのために天風会の各種方法を真剣に実行せよ。
 得を積んで家を整えよ。

箴言二十六
 真理は唯一無二、絶対的だが、倫理は人間のその時代の生存上の都合や条件等を標準または理由として作為されたもの。相対的なもの
 だから判断は真理=霊性心意にゆだねるべき、また潜在意識領域を整理浄化することにこころがけないといけない。

箴言二十七
 人の世のために尽くすのは人間としては当然で私心があってはいないあ。
 利己心はすべての過失と不幸の源泉。
 これでは尊い行為を実行しても、とうてい必要な誠心誠意を発露させてはくれない。
 真の幸福人生は自己本位の相対論からでなく、誠心誠意という調和享容絶対的意識の中からのみ生じる。
 自分以外の人の幸福を望む気持ちでお互いの心が一つに結ばれない限り、広い意味での人々の幸福は実現されない。
 心理の実践躬行に精進して、自己本位の心を克服して、明るい世界を作る先駆者としての実をあげよ。
 自己をより高く尊く改造せよ。

箴言二十八
 平和を願う人が多いのに実現はしない。
 「和のきもち」が欠けているからである。
 「和の気持ち」があれば「思いやり」という階級の高い心情が発露し、低い自分の料簡を自然と抑制中和されて、相手の立場を感がられる。
 まずは何よりも家庭生活に真の平和を築くべきである
 物事が推移変遷sる野は一切の物事を完全化しようとする宇宙に存在する自然現象である「調和の復元」である。
 諸行無常の変化変転は現象の完全化にタする別名である。
 縁を重大に考えるなら、一つの家に起居生活するものを一つのものと考えてみる。するとすべて己であることがわかる。
 
箴言二十九
 理性の判断はどこまでも相対的
 本心良心は絶対的。
 しかし漫然として日常の精神活動を刊行すると本心良心ではない結果になる。
 本心に下ぐためには何ら後ろめたさ、咎めを感じないもんを言行するのが大切。それが本心良心。
 優秀な理性心理は推奨すべきだが、言行のいっさいと理性心理にまかせるべきではない。

箴言三十
 暗示の分析は「感情」を離れて行わないと、正当な分析でなくなってしまう。
 
箴言三十一
 人生とは自己の生命活動の存続している現実の刹那刹那をいう。
 万物の霊長たる尊厳を確保して活きるのが天風会員の正当な自覚。
 自己の人生は自分のものなのに、モノや人に使われ煩わされたのでは大切な心が使われたことになってしまう。
 身心統一法を修めた人でもこうなるときがあるが、それは感情統御が未完成ということである。
 由来感情は長い間の習慣であり、あらためるのは難しいが、天風会の三忽三行をつかうと効果がある。
 三忽=怒らず、恐れず、悲しまず 三行=正直・親切・愉快
 自然に従うものは栄える。宇宙真理を実行せよ。


叡智のひびき 天風哲人箴言註釈

叡智のひびき 天風哲人箴言註釈

  • 作者: 中村 天風
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1995/07/12
  • メディア: 単行本



タグ:中村 天風
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