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知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語 (幻冬舎文庫) [雑学]

「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」で有名な著者が2003年に日本経済新聞の日曜版に連載したコラム?を元にしている。そこに質問の回答を加えた形での最初の最初の刊行では「雨の降る日曜は幸福について考えよう」だった。
PARTⅠ「幸福の法則」はそれをもとにしている。
PARTⅡ「正しさの問題」はリバタリアニズムについて著者が考えてみたことなのだそうだ。これが2004年。
2009年版の文庫版「知的幸福の技術」になったとき、註をいれたとあった。

著者自身の人生についても少し語られている。大学をでて先輩のつくった倒産寸前の会社で猛烈に労働して月収10万円の貧乏生活をおくりながら、子どもを育てていた時期。そのごサラリーマンになってからも、そこに幸せがあると安心できなかったこと。バブル崩壊でそれまであこがれていた人物の生活が荒廃し、破滅し、中には自殺を選んだ人のこと。そんな体験を通して自分の人生を再構築しなければと強く考えたようだ。
そして、タイトル「雨の降る日曜は・・・」について、20代前半に先輩の会社で年収120万の生活をしていたころ、6畳一間の古いアパートでベビーベッドも買えないで、座布団の上で眠っている赤ん坊の寝顔をみていると、日が暮れかけて雨の音がして、玄関を開けると雨の匂いがした、その時人生は美しいと思った、といっている。
幸福の基準とは経済とは切り離されたところにあるといっているんじゃないかな?

それがわかった上で、現状を認識し、なにが起きても自分と家族を守れるように人生を構築することを勧めている。
自由とは選択肢があること。そのためには経済的自由があることが好ましい。

これまでの日本は、終身雇用と年功序列に守られサラリーマンで定年まで勤めれば、あとは年金で悠悠自適というライフプランがなりたっていた。これは高度経済成長と人口増加が前提だ。
だから、経済成長が鈍り、少子高齢化に向かえば破たんするのは当然。

資本主義社会では法律に触れない範囲で欲望を満たすことが認められている。
しかし他人にも認められているので、すべての欲望が満たされるわけではない。

すべてを金銭に還元して評価し、序列化する資本主義には一片の偽善もないが、正しさは限度を超えると耐え難い。
夢と真実、相反する二つのルールに上手に折り合いをつけることろに人生の知恵は生まれる。

社会が複雑化し、個人のし好が多様化すると誰もが納得する正解はみつからなくなる。政治が機能しなければ個人で対処するしかなく、いずれ社会の歪みを一人一人が孤独に背負う時代が訪れるだろう。




PARTⅠ 幸福の法則
会社は永遠ではなく、年金制度は破たんする可能性がある(少なくとも現状のような給付は無理だ)、そのときそこに依存しない経済的基盤がなければ人は自由に生きられなくなる。

会社にしがみつくしかない人たちは「雇用を守れ」と正義をふりかざす。彼らには他の会社で働くという選択肢がないから。

滅亡の物語=不安は最大のエンターテイメントだ。不安のない生活は娯楽のない人生と同じ。核シェルターで恐怖の大王を待つのではなく、冒険のたまの準備をしよう。それが人生設計だ。未来への不安=希望である。

社会の中の無数の自由を共存させるために、ほとんどの欲望はあらかじめ禁じられているに等しい。
それはある種の生き難さに通じる。私たちはそれを何かに転嫁しがちで、世界中の不正をただそうと正義を振りかざす人もいる。苦悩する自分は純真無垢なのだから。
でも、ほとんどの人は正義のためでなく、自分と家族の幸福を守るために生きている。理不尽な世界をみても、私たちは目の前にある問題を一つ一つ解決していくしかない。

ストーカー行為で、相手を受取人にして生命保険に加入した人がいる。気持ち悪いと感じる理由は、双方に生命保険が愛情の証という了解がないからだろう。
でも金金融商品が愛情表現というのも気持ち悪い。

生命保険は損することに意味がある宝くじ。だから人生の必要な時期に必要最小限の保険料で加入するのがかしこい使い方。
日本の公営くじは、利益の半分が宝くじ協会がもっていく。
大手生保では、半分が運営経費になっていると思われるので、加入者が得することはまずない。

宝くじを貯蓄と思わないのに、保険が貯蓄になると思うほうが変だ。
変だから、なるべく複雑にして損していることを悟らせないようにしているんだろう。

正しい意味での医療保険は国営保険会社が提供する健康保険だけ。
民間のは医療費そのものが対象になっていないから、正確には入院時の所得補償保険とか差額ベッド代保険である。
そうなら入院で生活費が減らない年金受給者は所得補償の必要がない。大きな保障の保険は結果的に大きな保険料を払うだけに終わる可能性が大きい。

不安を売る商人はたくさんいる。彼らの最大の商売道具は財政赤字と超低金利政策。
年金だけを頼りにする人たちは、退職までに1億円たまっていないと不安などとあおられて損する商品を買わされる。
そもそも生涯年収3億円のサラリーマンが1億円ためられるワケはない。

国民年金は払った保険料より戻ってくる額が多い可能性が高い。
割にあわないのは厚生年金である。給与天引きなので未納にするわけにもいかず、国民年金の赤字補てんに使われてしまう。つまり厚生年金が危ないのに、国民年金の未納者が増えているのは、対岸の火事をみて自分の家に水をかけるようなものだ。

老後はお化け屋敷と同じ。なにが起こるかわからないから不安になる。
現在の年金制度があれば、退職時1千万あれば老後は賄えるが、たびたび保険料引き上げと給付の減額がくりかえされ、将来展望がみえないなら、私たちは生活設計できず不安になってしまうのだ。

日本の国民皆保険制度は、すべての国民が安い費用で十分な医療サービスを享受することを目指した稀有なサービスだ。
これを実現するには国は医療費を抑制しないと破綻してしまう。
そうして買い叩いてきた結果が3時間待ちの3分診療の劣悪な医療環境である。
動物病院は競争のある自由な市場なのであんなに豪華なのだ。ただし、道端で死んでいく野良猫は治療費が払えないから気にも留められない。

アメリカでは医療は高額だ。市場競争にさらされている民間保険会社がガイドライン以外の治療を許可しないので、自由に治療を受けようとすると医療費が高額になる。
日本ではそのようなことはなく、病院も自由に選べる。するとよい病院には人が殺到し。お金ではなく時間が必要になる。

日本では最高の医療を求めることができて、しかも保険で大半が賄える。こんな制度はいずれ破たんする。
本の執筆時点での日本では医療費の約半分が上位10%の高度医療を使う患者に使われている。
そのツケは他の善良な保険加入者が払うのだ。

どんな子どもでも正しい教育を受ければ、豊かな教養と人間性を兼ね備えた立派な大人に育つという神話を信じたければ、現在の底辺校の状態=教育機関ではなく収容所から目をそむければいい。

公立教育は警察=退学処分のない社会。そこでの安全保障はタダではない。
かつては暴力だったが、いまは「いじめ」と「学級崩壊」である。

教育問題に関心を持つ人はいない。親は自分の子どもの教育に関心があるだけだ。
教育書のベストセラーは幼児から低学年むけで、それ以降は親の財力が教育環境に影響を及ぼすので共通の基盤が成立しない。
ベッカーは人的資本という言葉で教育の効用をといたが、私立での教育がコストに見合うかはわからない。
教育は投資であり、消費であり、親の自己実現であり、子どもの安全保障である。

デフレでも家計がひっ迫するのは、減額しない住宅ローンと人件費がほとんどなので値下がりしない教育費だ。
昼ごはんに数百円の店に並ぶサラリーマンがそれを証明している。
ささやかな家族の幸福を実現しようとして経済的困窮にあっている。ローンをとるか教育費をとるか?

マイホームは不動産のリスクをとるということ。
金を借りて投資するのと変わらない。
賃貸はそうしたリスクと切り離されているが、地価が上昇してもその果実は手に入らない。
日本人はリスクを好まないとされてきたが、マイホームという不動産リスク(レバレッジ5倍)は大好きだ。

ワンルームマンションには秘密があるに違いない。
年10%もの高利回りの美味しい話が、あなたのところにも転がり込んでくるからだ。
本当なら、銀行や不動産業者がみんなしていて、あなたのところまで話はこない。
その上少子化で人口減少に向かう日本で、いったい借り手はいるのか?

分散投資は科学的投資法なのに、たった一つの資産に5倍のレバレッジで全財産を投入するオカルト投資法が横行している。それはマイホームである。
もっとも株を買っても楽しくないが、マイホームは楽しいという効用がある。

マイホームがオカルト信仰の対象になるのは、それが家族の共同作業の成果を形で示す「箱モノ」だからである。
だから失って命を捨てる人もいる。

現実は仮象であり、その背後に超越的な本質があると考えるのが形而上学。
株の実態は利益の分配を企業に請求する権利証券。
不動産の場合は、それを第三者に賃貸して収益を得ることができること。
持っていることで無条件に価値があるわけではない。管理費だけ無駄に払われているリゾートマンションは資産ではなく債務である。

著者は持ち家派ではない。どちらが得かはわかない、ライフスタイルと時代で異なる。
でもいまでも土地真理教の洗礼から抜けれない人がいる。
日本では不動産の流通コストが高いので、一度購入すると買い替えは困難だ。仕事や学校までマイホームにしばられてしまうのはどうだろう?生涯賃貸を続ける必要はないが、買うのは資産さえあればいつでもできる。

宝くじに当たる望みは交通事故で死ぬ確率よりずっと小さい。
楽して億万長者になりたい夢をかなえる商品は、欲しい人の欲望をみたしているだけである。
「どこかの誰かが儲かる方法をしっている」と信じている人は多いが、秘密をあなたが知ることは原理的に不可能だ。

長期投資なら確実にもうかるということを否定するものはいなが、ほとんどの投資家はこの教えに従わず短期売買を繰り返す。世の中に、長期投資家しかいないなら、手数料商売の証券会社はとうに経営破たんしている。彼らの利益はギャンブラーのテラ銭だが、それを指摘する=王様は裸だとうい良識ある大人はいない。

資本主義は反民主的な制度。
民主制は一人一票だが、資本主義は一株一票。金持ちは権利を買い集めることができる。
資本主義社会では利益の最大かに向かって行動する非常にわかりやすいゲーム。世界平和や弱者救済のために株式投資する人はいない。
勝者は法の許す範囲でより多くの金を稼いだものだ。敗者は退場を言い渡される。
すべてを金銭に還元して評価し、序列化する資本主義には一片の偽善もないが、正しさは限度を超えると耐え難い。
夢と真実、相反する二つのルールに上手に折り合いをつけることろに人生の知恵は生まれる。

お金が働くという言葉があるが、あなたが投資したとして、実際に働くのは投資先の社員たちだ。
かれらはあなたのために働いているわけではない。
債券発行とは企業経営者が投資家に汚れ仕事を押し付けようと考え、配当で報酬を提示すること。
投資家の汚れ仕事とは、事業が失敗したとき損をすることだ。
投資とはリスクを購入し、それに見合った報酬を受け取ること。損しても誰も助けてくれないだけでなく、裸のまま路上に放り出されて文句は言えない。だから投資は大きな富を生む。

レイコーは関西でアイスコーヒー。
同じ商品でありながら異なる名前をもつものは金融の世界に多い。
外貨預金、USMFFなど外貨建て商品、FXみな外国の通貨にして投資するものだが、変換するときの手数料はFXが最も安いし、金利も高い。ただし信用力は違う。
名前に惑わされず、同じ金融商品として比較してみよう。

モダンポートフォリオ理論はパッシブ理論が優位であることを証明してしまった。
パッシブ型ファンドは株価インデックスに連動するもので、運用も調査も不要な分コストが安い。
対してアクティブ型ファンドはファンドマネジャーが投資を行うのでコストは高い。それを補うには大きなリスクをとる必要がある。というわけでファンドの種類は流行りものに合わせて発売されるので増える一方だ。

元金が百万円しかないなら働いた方がいい。でもそんなことは投資の本には書いてない。それは子供の教育のとき個々の能力差に触れないのに似ている。
ただし、退職すると私たちは好むと好まざるにかかわらず投資家になる。だから元金がなくても勉強するのは無駄ではない。

ベッカーは労働から利益を生み出す個人の能力=人的資本が社会の富の大半をしめているという。
ほとんどの人は人的資本を上回る実物資本をもつことはできないから人的資本に投資すべきというのだ。
だが、資格や能力に価値があるのはそれが希少だからにすぎないので、人的資本に投資しても必ずしも得はしない。
リカードは自由貿易は参加者全員の富を増大させるので、個人は自分の得意技を磨いて豊かになってくという美しい理論をといた。リカードは初等教育だけであとは株式仲買人として独自の経済理論を築いた。彼のいう個人の優位性=エッジ(刃)は試験でよい点をとることではなく、自分だけの刃を研ぎ澄ますことだ。

自由と自己責任は近代社会を支える二つの原理。
市民とは自由とともにその残酷さを引き受ける個人のこと。
年金問題を解決するのは簡単だ「自分のことは自分でやるからほっておいてくれ」といえばいい。
未納者が日本国からの経済的恩恵を放棄する覚悟があるのなら本質的な批判だが、実際には「どうやって国にたかるか」の議論になっているので見苦しい。

債務者は圧倒的に守られている。暴力的な取り立ては業者にバツを課すので、彼らが説くのは「借りた金は返しましょう」という道徳だ。
ほとんどの債務者が金を返そうとするのは自分の生きる価値のためである。
債務の金利の上限を決めると、そのリスクの外になるひとは闇金融に走るだけで根本的な解決にはならない。

世の中には金で買える幸福がある。
私たちの社会のルールでは幸福に優劣をつけない、住宅ローンも消費者金融で借金して買ったブランドバックも効用の点では同じ。ただし上手な借金と下手な借金はある。
借金は未来から幸福を運んできてくれるタイムマシンだ。
ただし、あまりにも魅力的で乗りこなすのは難しい。

民主主義のすばらしさがわからない。
少数派の意見は無視され多数派に従わないといけない。
政治制度は決め方のルールで、真実を映す魔法の鏡ではない。
多数決では「多数者の専制」を解決できない。民主制自体は正しい決定を保障できない、社会を構成する多数派の良識と公共心に期待するしかない。私たちはその期待に応えているのか?

一つの問題に複数の解決策が存在する場合、ほとんどの人は正義より効率を優先するが、これはエゴイズムと批判するのは筋が違う。
年金問題も利害が対立するので解決は困難だが、受給額にかかわらず人生を謳歌できる資産があれば問題そのものは、解決だ。
しかし、このゴール=経済的独立の達成はだれでもできるわけではないので貧富の差は拡大する。
富裕層に税金をかけて分配すれば、富裕層はにげてしまい、小さなパイを分け合うことになりかねない。
社会が複雑化し、個人のし好が多様化すると誰もが納得する正解はみつからなくなる。政治が機能しなければ個人で対処するしかなく、いずれ社会の歪みを一人一人が孤独に背負う時代が訪れるだろう。
争いと貧困を正義の理想のもとに解決することに異論はないが、自分勝手な幸福を退けることはできない。

もうかる商売に参入者が少ないのは、それが他社の承認を得られない汚れ仕事とみなされえているから。
ヘーゲルは国家という共同体から承認を得ることで人は幸福になれると説いた。
ブランド、出会い系、忠誠の対象は違うが、欲求は誰かに認められたいという行動。でもあなたの欲望が他人の欲望なら渇きが癒されることは決してない。

神なき時代に幸福を定義しようとすれば功利主義によって立つしかない。人間が神の玉座を占める社会では法に従う限り欲望を満たすあらゆる行為が許されている。
私たちは生まれる時代や国は選べない、だから残された自由を大切にいきるのだ。
経済的独立を達成し、複数の選択肢をもてる=自由ようにすることが大切だ。
そのためには与えられた資源を有効活用し、最短距離で目標に達成することで、人生はより豊かになる。
自由や富は幸福な人生を約束しない。それは道の世界を旅する通行証のようなものだ。


FAQ
橘さんは、誰?
プライバシーをなくして得られるものと、なくすもの。なくすもののほうが多いので公表していません。
そのかわり、個人の主張をする以上一定の説明責任はあると思って、経験からのみ語っている。

人生を金勘定でかたるだけでいいの?
なにかに依存して、それが破たんしたらその日から路頭に迷う言葉だけの「自由」にどれほどの意味があるのか?
自分が世界のどこであれ好きな場所で暮らすことがのできる経済的な自由を手に入れないと望んだ理由はそれである。

どうすれば経済的に成功できますか?
自分は富豪でも世間的な成功者でもない。
自宅も別荘も車も所有していない。
だからいえるのは「経済合理的に行動する」としかアドバイスできない。
リスクをコントロールしながら可能な限りの大きなリターンをめざすことである。
とはいえ、不親切なのでと市場のゆがみを利用汁確実な利益のでる投資法として、日経インデックス入れ替え銘柄と中国上海・深圳市場のA・B株を紹介していた。
ただし、人が殺到し知れ渡ればゆがみが消えて利益はなくなってしまう。

サラリーマンをやめたほうがいいのですか?
大富豪になりたいならやめないと無理。所得が完全に把握されているから。
でも、人よりほんの少しゆとりが欲しいなら安定をすてる必要はない。

家を買ってしまった人はどうすればいいのでしょう?
不動産投資を否定はしない。
合理的投資かどうかということである。
投資であるなら損をしても補てんする方法はない。

社会の歪みを利用するのは卑怯では?
雇用保険を例にとって制度のゆがみについてふれたあと、民主国家において、選挙で選ばれた代表者の討論と多数決によって制度の歪みがただされるが、多数者の利益になるゆがみを解決することは原理的に不可能。
有効な方法は制度のゆがみをグロテスクに拡大する合理的で利己的な個人の行動にまかせること。そうすれば破たんがあきらかになって効率的なシステムが生まれるかも。

あなたの本で人生が変わりました。
かいかぶりです。
約束された未来が失われたといって悲観していないで、経済的自立をめざそうというだけです。



PARTⅡ 正しさの問題

年金制度は解決の可能性がない問題であり、議論するのは時間の無駄。
問題は少子高齢化だから、若干の保険料引き上げと給付の引き上げくらいではどうにもならない。
年金制度は国家の運営する保険事業である。国営事業が破たんの危機に瀕していて、同様のサービスが市場で提供されているとき、最良の選択肢は国営事業を民営化すること。JRがその例である。
国営保険は賦課方式・強制加入・世帯単位を基本として、設計は高度成長期のサラリーマン世帯を基準にしているから、制度の矛盾が噴出するのは当然。
国民の大多数は払った以上の年金をうけとれるのが当然と思っている。だからそうでない人は未納者になる。
もし、保険料に応じた年金が欲しいなら任意加入・積立方式、個人単位の民間保険で十分だ。
仮死状態の金融機関を延命させようと思うと莫大なコストがかかることは住専問題で経験済み。構造的に維持不可能な国営保険は早期に破たんしたほうが国民の利益になる。
国民が国家に老後の生活を依存するから年金制度の矛盾は生じる。日本国には国民の生活を保障するだけの財政的ゆとりはなく、どんな筋書きを用意しても結末はきまっている。

大使館の仕事は政治家の旅行手配と国際会議の日程調整で旅行者のトラブル解決ではない。
普通のトラブルなら追い返される。命の危険があれば別だが。
また、外国でのトラブルならその国の法が適用されるので、大使館ができるのは保護の依頼だけである。
もし、保護が前提なら渡航制限も守られないといけない。つまり保護されるということは自由を失うということだ。
生活保護も同じで、なにが最低限度の生活か国家が決めるなら、プライバシーはなくなる。
より大きな保護を国家に求めるなら、それは私生活への国家の大きな介入を正当化するだろう。

国家は国民の生活を守るものと当たり前のように信じられている。
国家は外国からの侵略を防ぐ軍隊をもち、治安を維持し、犯罪を摘発する警察をもっている。
しかし、すべての貧しい人を救済するわけではない。
生活保護は現在政治家の集票活動や宗教団体の布教活動の一部として扱われている。ホームレスを助けても票にはならない=住民票がないから放置される。生活保護を受けると労働意欲を失う。どの先進国をみてもそれは明らかだ。
貧しいもの=生活保護受給者がより貧しい者=ホームレスから搾取する制度は社会の歪みを拡大する。それは共同体のモラルを融解させ、破たんと混乱へと至るだろう。

介護保険は破たんが約束された制度だ。
自己申告で介護が認定されると、だれでも月額6万4千円相当の在宅サービスが利用できる。ならば使わないほうが損だ。
保険商品なら、あたり(受給)より、はずれ(加入者で受給していない)が多くないといけないのに、介護保険は過半数が当たりくじを引くことができる。設計が根本的に破たんしている。
集めた代金以上に当選金を支払う持続不可能な宝くじが介護保険である。

尊厳死は認められつつあるが、安楽死は認められているのはオランダぐらいで、他では嘱託殺人となってしまう。
自殺する権利は議論がナンセンスだ、権利の有無にかかわらず人は勝手に死んでいくから。
高齢化社会をむかえる日本でもやがて高齢者が海をこえて安楽死をめざすかもしれない。

「障害者雇用促進法」は常用労働者の1.8%に障害者の雇用を義務付けているが、不足人数に5万円を支払えばいいだけなので、ほとんどの企業では金ですませている。
利潤の最大かをめざす企業ではいたしかたないかもしれないが、そうでない公務員は、全員障害者に席を譲り渡すべきでは?そうしたら日本の福祉は大きく向上するだろう。

日本でカジノが合法化できないのは公営ギャンブルの既得権のせいである。
胴元が半分から4分の1をとることで関連団体が潤い、天下り先が確保されるからである。
買春を禁止しても女性は守れない。むしろ合法化して避妊や性病を防ぐ対策をしたほうがよっぽど女性のためだ。
薬物は法規制では解決できない。むしろ合法化して税収で依存者の医療援助をしたほうが効果がある。
でもこの経済効果を認める人はほとんどない。

所得税はプライバシー侵害が前提である。
国民が税金を払って国家のサービスを購入していると考えるなら、公平な税金は人頭税である。この方法だと一人当たりの税金は本の当時で200万になる。
所得税だと同じサービスに違う値段を払うことになってしまう。

ニューヨークのホームレスはほとんど姿をみない。
彼らの数は約3万7千人といわれ、日本全国のホームレス3万人より多いのに。
これはニューヨーク市ホームレスサービスDHSが民間委託でおこなっているホームレス・シェルターのお蔭である。
利用の少ないシェルターは援助が打ち切りになる。予算は決まっており、ホームレスが増えても支出がふくらむこともない。日本ではホームレスを集めて生活保護をうけさせる民間施設があるが、これでは支出はどんどん増えていってしまう。
問題は福祉予算の額ではなくその分配システムだ。

豊かな人から徴収した税金を貧しい人に再配分する機能を「福祉」という。
公的年金や医療・介護保険は事業であって福祉ではない。それが福祉になるのは一部の保険加入者が得をするように制度がゆがめられているから。制度のゆがみから恩恵を受ける人たちを「社会的弱者」とよぶ。
社会的弱者も増えると評伝になり、彼らも既得権益を守ろうとする。かれらは「より貧しいもの」があらわれるのを嫌う。
だから福祉の手厚い国は移民排斥の極右政党が台頭する余地がある。
貧困を解決するには、世界中の社会的弱者に平等に生活保護を支給する方法と、誰もが国境を超えてより労働条件のよい職場で働く自由を認める方法がある。後者の方が支出は圧倒的に低いが、福祉国家はそれを認めない。
我々は福祉のない豊かな社会を目指すべきである。



知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語 (幻冬舎文庫)

知的幸福の技術―自由な人生のための40の物語 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 橘 玲
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 文庫



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