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島秀雄の世界旅行 1936-1937 [雑学]

島秀雄は、新幹線の開発に技術面でかかわった人物としてしられている。どちらかというと設計そのものより全体的な構想やプロデュース力が評価されている人物である。
1901年大阪生まれ、東京帝国大学工学部機械工学科卒ご鉄道省入省。D51の設計などにかかわった。
戦後は湘南電車のプロデュースにもかかわるが、桜木町事故で国鉄を去る。住友金属工業の顧問を務めていたが、新幹線計画に技師長として参加するため国鉄に呼び戻される。実際に新幹線が走る前に退職した。初代の宇宙開発事業団理事長。

また、父安次郎、息子隆も国鉄で車両開発にかかわっており、3代続いた技術者一家としても有名。
弟の島文雄は国産旅客機YS-11の開発にかかわった人物。

この島秀雄が1936-37に欧州、南アフリカ、南米、アメリカを視察したときの写真と、パンフレット類が大量にのこされており、島秀雄を取材した記者がまとめたもの。監修は息子の島隆となっている。

島家は和歌山で続いた薬問屋で、父安二郎は医師になることを期待されて上京したらしい、しかし明治の世の中では機械工業の方が魅力的だったらしく、技術者の道を選んだ。
実家の財力のおかげで、父安次郎の3度の洋行のうち、最初の洋行は自費であったし、秀雄の最初の洋行も自費であったらしい。また、本になっている1936-37の洋行も、一部自費で賄われたようで、秀雄はアメリカで車を購入している。

明治からの伝統で国家の技師は洋行して技術を見分・吸収するという習慣であったから、父安次郎も公費で2度、秀雄もこの本のときは公費でいっている。
内情は物見遊山的な使い方をしているものもあったようで、同僚のなかには豪華客船ばかり選んでのったり、居心地のよい国に長逗留して、他はほとんど通り過ぎるだけというものもいたようである。

島秀雄が洋行に持って行ったのはライカⅡズマール50mmf2というカメラで、これに広角レンズももっていたらしい。何枚かパノラマ撮影の写真がある。このカメラで世界一周旅行で2300枚の写真を残している。

本ではその旅程にあわせて、写真と当時の島秀雄の心境の推測や疑問の呈示。世界情勢の記述などが入っている。

1.欧州航路
1936.4.2-5月上旬
日本郵船の「筥崎丸」で横浜を出港。十分な旅費があったため船を選んだのだろうといっていた。シベリア鉄道経由の方が早くて安い。1936年のベルリンオリンピックの選手たちもみなシベリア経由だったらしい。
豪華客船では3食の他におやつや夜食まででて、乗客は食べ通しだったらしい。ただし夕食は正装。退屈をまぎらわすため船内ではゴルフやパーティが行われていたらしい。お茶会の写真やディナーメニューのお品書きなどがのっていた。
寄港地は、上海、基隆(台湾)、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン(アラビア半島南端)、スエズ、カイロ(ピラミッドとスフィンクス)のすべてで写真が残っている。

2.欧州1936
筥崎丸はフランスのマルセイユについて、そこからベルリンに直行する予定だったが、なぜかパリにいっている。多分一行(11名の同僚がいた)のだれかの発案でパリを見に行こうとなったんだろうと著者はのべていた。あとで滞在費について管理部ともめたらしい。

パリでは知人夫妻の山口利彦とあっている。鉄道でもPLM、ETATを視察した写真がある。
エッセン経由で5/14ベルリンに到着。ベルリンオリンピックを控えた市内はナチスのハーケンクロイツの旗が掲げられていた。当時の日本技術者たちはドイツの技術力を信奉していたが、ヒトラーについては必ずしもよい感情はもっていたなかったらしい。もっとも日本は友好国として歓迎されていて、日本人だとわかると各地で歓迎されたらしい。オリンピックの時期であったので、ユダヤ人迫害もあまり表だっておこなわれいなかったらしい。

島秀雄はあまりオリンピックに関心がなかったようだが、陸上の3段跳びで田島直人が世界記録を作るところや、水泳の前畑が優勝するのを観戦し、感動したと記している。ヒトラーの写真やバスケットボールの試合(当時は屋外だったらしい)の写真がある。大型飛行船ツェッペリンの写真も。

鉄道視察というか小旅行ははベルリンをベースにライン地方(ケルン・フランクフルト)、北欧(コペンハーゲン、オスロ、ストックホルム)、ハンガリーのブタペスト、オーストリアのウィーン、シュタイア、リンッ、ザルツブルグ、イギリス(ロンドン、ダービー、カッスル)、再びフランスを訪れ(カレー、ルアーブル、ルーアン)、オーストリア鉄道の協力でザンクトペルテン、チェコスロバキアのプラハ、ドイツに戻ってドレスデン、と回ったらしい。

写真はほとんど観光地の風景や同行した同僚下山定則(のちに国鉄総裁となり謎の轢死事件にまきこまれた人物)、自分などで、鉄道より車の写真の方が多い。実は島秀雄は車が好きだったらしく、ドイツでは発売されたばかりのフォルクスワーゲンを手に入れようとするが、納車まで2年と聞いてあきらめている。シュタイア市街ではオースタリーの豆自動車「Steyr50」と一緒に写真におさまっている。
当時ドイツでは世界最高速の機関車を「05形」がイギリスの「A4形」が争っていたが、その写真はなく、むしろアウトバーンの方が印象的だったらしい。また先見の明として蒸気機関車の時代が終わることを予見していたのかもしれない。時速こそは200キロを超えていたが、乗り心地は相当悪かったらしい。時代は自動車と飛行機へと移りつつあった。また、鉄道としてはディーゼルと電気モーターがひろまりつつあった。

3.欧州1937
島秀雄は高校生の時、父の知人で会ったラントグラーフからドイツ語の手ほどきをうけた。よってドイツ語には困らなかったらしい。ドイツではこの人の知人宅に下宿していたらしい。滞在費は月3000マルクで十分だったようだ。
島本人の書き込みの残ったベルリンの地図。国際自動車展覧会でのヒトラーとゲッペルスを直接みたときの写真。ベルリンの街並みの写真などがのっていた。

1937年に入ってからの視察先はライプツィヒの国際工業見本市、ニーダーフィノウの船のエレベータなど。
3月にはイタリア旅行にいきアルプス越えでフィレンツェ、ローマ、ナポリ、ミラノ、トリノを回る。写真はやはり風景が多いがフィレンツェでみた内燃機関の写真もある。当時は蒸気機関車全盛ではあったが、ガソリンや電気による電車も走りはじめていた。
アウトバーンを走ってニュンベルグ、ミュンヘンへ、ナチス発祥のカフェの写真がある。
4月には、アフリカに向かうためにハンブルグへ、ハーゲンベック動物園を見学した写真が残っている。
ハンブルグから、オランダのロッテルダムを経てイギリスのサザンプトンへ。クインメリー号とすれ違っている。船にはジョージ6世の戴冠式に天皇の名代で出席する秩父宮がのっていた。島秀雄がのっていたのはウィトフック号。
スペイン領カナリア諸島ラス・パルマスではフランコ軍兵士の姿が映っている。日本のキモノの物売りも見かけ写真にとっている。

鉄道としては東海道新幹線の特徴である「ムカデ式」各車両が動力をもつという仕組み、流線型のボディ。電気式で都市の近郊をトコトコ走る電気式の路面電車。これらがのちの構想のもとになったのではないかと書かれていた。


4.南アフリカ連邦
南アフリカ連邦は狭軌鉄道の王国である。
実は日本の鉄道も狭軌で、欧米の鉄道と規格が違った。
安くて、小回りがきき、急こう配につよいということで、主に植民地では狭軌鉄道が作られ、日本でもイギリス主導の鉄道導入のとき、狭軌鉄道が導入された。島秀雄の父安次郎は広軌鉄道に変えるべきだと終生主張していたらしい。その方が大きな電車を通せるので速度もあがるから。この主張はやがて東海道新幹線に集結されることになる。
政府からの指令と、本人の希望で島秀雄は2か月にわたってイギリス統治下の南アフリカを視察する。
当時豪華寝台特急とされた「ユニオン・リミテッド」に乗車。ただし同行した下山は「とても眠れない」と不満だったらしい。この電車は「ブルー・トレイン」の元祖である。
また狭軌鉄道としては最大の動輪をもつ「16E」という機関車があり、これは写真も多くのこされていたらしい。南アフリカでは同じ狭軌というライバル意識か、鉄道関係の写真が多い。
風景は、上陸したケープタウン、ヨハネスバーグ(レンタカーでプレトリアまでいっている)、ダーバンではちょうどジョージ6世の戴冠式でにぎわっていたらしい。ここでも2階建てバスや車の写真が残っている。
3週間あまりの滞在のあと、ケープタウンに戻り大阪商船の「さんとす丸」でブラジルニオデジャネイロを目指した。


5.南米
実は同行の二人、下山定則、井上禎一の二人は南アフリカも南米もあまり興味がなかったらしい。しかし島秀雄に説得され同行していたようだ。

「さんとす丸」がリオデジャネイロに到着したころ、日中の緊張が高まり、重工業製品は輸出が禁止されるだろうから、商談はしないようにと政府から連絡をうける。国鉄はタイに蒸気機関車を輸出したこともあり、南米をさらなる輸出先として開拓させようという思惑もあったらしい。

リオデジャネイロのキリスト像などの風景写真や、リオデジャネイローペトロポリスの急こう配をラックレールで登る機関車の写真。

南米ではあまり鉄道網が発達していないため、飛行艇や飛行機での移動も多かった。
バイア州には招かれていったのだが、途中からバラストもなくなり、枕木もまばらな路線の鉄道にのせられた。
サンパウロを経てマリーリヤでは叔父に会う。当時ブラジルには大勢の日本人が移民していて、1000世帯くらいの日本人村があったらしい。
サンパウロでも鉄道の写真が多くのこされている。
サントス港で大阪商船の「りおでじゃねいろ丸」に乗船、ウルグアイのモンテビデオに入港。富裕層のリゾートで美しい街だったらしい。その日のうちにアルゼンチンのブエノスアイリスに出港。
ブエノスアイレスでは公使館の世話で市内を観光し、地下鉄の写真も残っている、鉄道写真も多い。
アンデス山脈を鉄道で超える予定が雪で足止めをくい、メンドサで足止めとなる。やむなくパンアメリカン・グレイス航空のダグラス機で山脈を越え(このときの氷河の写真もある)チリの首都サンチアゴに到着。GEの電気機関車の写真がある。
サンチアゴ外交のパルパライソに向かうが、メンドサの足止めのため乗船予定の「平洋丸」がすでに出港。急行で3泊4日の旅をしてイキケに向かい、平洋丸においつきはしけで乗船した。砂漠地帯を蒸気機関車で走るには水が命綱とのキャプションとタンクの写真がある。

ペルーのリマ、エクアドルのマンタを経由してパナマ入港。自動車でパナマ運河の閘門を見学、パナマ鉄道も見学。メキシコのマンサヨニを経由してロサンゼルスに向かう。

南米に滞在したのはで2か月足らずであった。

6.アメリカ
当時のアメリカは物価が高く、洋行のエリートたちに人気がなかった。しかしヨーロッパとアメリカをみることはいわば基本であったので、なるべくゆっくりドイツあたりに滞在し、帰国直前にさらっとアメリカをみるというのが定石だったようだ。島秀雄は実家の援助もあり、4か月アメリカに滞在している。もっともヨーロッパには11か月いたので短いのだが。

アメリカの鉄道は1929年の世界恐慌のあと衰退していたが、流線型ボディの高速ディーゼル特急の出現で人気を取り戻していた。「M10000形」「ゼファー9900形」らがそれである。
また民間主導なのも特徴で、ある地点からある地点まで移動するのに複数の行き方があるのが普通であった。島秀雄たちがどの特急にのってニューヨーク入りしたかは残っていない。

ロサンゼルス、ビバリーヒルズやグリフィス天文台。ディーゼル特急「シティオブロサンゼルス」などを撮影。グランドキャニオンを経由してシカゴに向かう(鉄道)。
シカゴでは世界最大といわてれいた「スティーブンス・ホテル」に宿泊。イリノイ・セントラル鉄道、マーチャンダイズマート、シカゴ・ユニオン駅、科学産業博物館を見学。バッファローを経由してニューヨークに向かう(鉄道)。
ニューヨークでは叔父の一家の案内でマンハッタンやエンパイヤステートビルを見学、二人の従姉妹の写真もある。
ロングアイランドビーチ、ウェストポイント士官学校の写真もある。
ニューヨーク・ニューヘブン&ハートフォード鉄道でボストンへ、劉政権蒸気機関車を撮影。MIT、ハーバード大学、詩人ロングフェロー邸を訪れた。
一旦ニューヨークに戻ってからデトロイトへ、車好きの島はフォードの工場を見学、エジソンの実験室も訪れた。
ニューヨークからフィラデルフィアへ、ペンシルベニア鉄道が電化され流線型電気機関車の「GG1」の撮影をしている。ベンジャミン・フランクリン縁の地などを訪れた。
フィラデルフィアからワシントンへ、違う叔父と自然史博物館やホワイトハウス、リンカーン記念館などを見学。

その後ニューヨークで最新型フォード「デラックス・2ドア・ツーリング・セダン」を購入。サンフランシスコまで大陸横断旅行を敢行。同行者は石田敬次郎という土木エンジニアだった。
旅程は正確に残っていないが、アトランタ、モンゴメリー、ニューオーリンズ、バトンルージュ、ダラス、エルパソ、クーリッジ・ダム、フェニックス、ロサンゼルス、サンフランシスコであったらしい。
途中クーリッジ・ダム付近の山で車が横転したが、二人は無事で傷だらけの車でサンフランシスコまで辿りついた。その後自動車保険が煩雑で車を売ることができず、修理のあと日本に持ち帰った。


7.帰国
サンフランシスコからは日本最大の豪華客船「秩父丸」、下山定則、井上禎一も合流。
ハワイを経由して横浜に帰国、1年9か月の旅であった。
帰国した日本は日中戦争勃発間際で、極東情勢は緊迫していた。
島秀雄が写真におさめたパールハーバーも日本軍の奇襲をうけることになる。
ハワイには多くの日系人が移民しており、島秀雄も日本語のハワイ観光案内などを持ち帰っている。

島秀雄の世界旅行 1936-1937

島秀雄の世界旅行 1936-1937

  • 作者: 高橋 団吉
  • 出版社/メーカー: 技術評論社
  • 発売日: 2008/11/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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