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恋するコンピュータ (ちくま文庫) [自然科学]

1998年に刊行されたものを、十年後に加筆して出版したもの。
著者は奈良女子大学で物理学を学び、バブル華やかなころにコンピュータメーカに就職。
AIの開発に携わる中で、人間の感性をコンピュータに乗せることに興味をもったようだ。
特に言葉=語感について研究を深め、現在は会社をたちあげている。

この本では「恋するコンピュータ」すなわち、人間を感じて、応答できるコンピュータ(ロボット)について
著者の考察や、活動をつづったもの。
この本がでたとき6歳だった長男のエピソードもたくさん登場する。
赤ん坊幼児の知識獲得の過程は多くのインスピレーションになったようだ。

かなり前のものなので、2008年加筆した段階でも、あわなくなっているところはあるが、
あえて、そのままの記述にしているという。
例えば、あいまいな表現での検索などは、現在は実現している。


コンピューターは定型のプログラムされたことしかできない。
渡された情報を馬鹿正直に記録して、言われたとおりの答えしかださない。
これでは私たちは本当に欲しいデータにあうことは、なかなかできないのだ。


著者は自分をナレッジ・エンジニアであるといっている。
ものごとの有り様と成り立ちを見つめ、それを知識として扱うための枠組みを設計するのが仕事。
システムはコンピュータだけでなく、何かの流れがマニュアル化されていて、
人に直感的にわかるように表現できていて、明文化されていれば一連の系をシステムとできる。
生態系・・・いのちの流れの明文化
優秀な営業マンがいたとして、彼の営業センスを分析しシステム化するのがナレッジ・エンジニア。
さまざまなプロフェッショナルの認識と思考回路を見つけ続けているうちに、基本的な枠組みがあることに気付いた。
目の前にある事象を認識し、これまでの現在の自分の経験に照らして咀嚼して、今以降の自分の糧とする力=よりよく活きよ

うとする力
に優れている。貪欲に上のサイクルをまわす。


脳を知識獲得エンジンとみなすと、案外単純でシンプルなのかもしれない。それならコンピュータにのるかもしれない。
息子が知識を獲得していく過程を、言語学や発達心理学に照らして潜在的メカニズムを探ったり、
実験的に働きかけて解釈の確認をしたりした。
哲学をやっていた同僚中山淳浩が理学療法士の資格をとって、生体システムの仕組み(脳と感覚)についてヒントをくれた。
ヴィオラ奏者平野真敏(音が見えるそうだ)の音楽を組み立てる独自のメカニズムも同様。
そしてこの二人とともに研究ユニット「花音」をつくり(特に組織にしたりしていなかったようだ)活動していた。


人間の脳は形に音を感じる能力がある。
文字列をみると聴覚野が活性化する。
観ることと、聴くことは実はそう遠い感覚ではない。

大和田洋一郎氏の研究によると、漢字の起源はインド・ヨーロッパ祖語までさかのぼれる。
祖先は同じだが、西洋と東洋にわかれた言葉たちだが、東西で基語として確認できる言葉があるという。
例「論」とleg
これらの語が300個ほどみつかったところで、頭打ちになっているという。
著者は8割2割の法則で380個ほどあるのではないかと推測していた。
英語で一般的に使われている基語は400でだいたい一致するそうだ。
これらを「形」から「音」を「音」から「形」を感じる能力のため、同じことばが東と西にいきついてもそのままになっているのではない

かといっていた。
ただし、400というのは基本ユニットしては大きいのではないか、原子数が100を超えた時、もっと小さな単位が予感されたように

、言葉の最小ユニットももっと小さいかもといっていた。
音が脳に刺激を与えるが、これも人類共通である可能性がある。

モノはそのモノらしい音と形をもっている。
人間の脳は初めてのモノにであっても、かたちからある程度予測ができる。
また、聴くことができない音も感じるので、アナログからデジタル音源にかわったとき、笙の奏者がそのことに気がついたという。
笙はナマだともっともアルファ波を引き出す超音波がでているそうだ。
原子・分子は振動しているのだから、自分も音を発しているはずである。
すべての存在に音がある。

何か名前は、実はそれが出す音にふさわしい音を意味している。人間はいのちの音を聴きふさわしい名前をつける。
例 lily と ユリ roseとバラ

共通言語(東西で残っている)comは「共」に通じる
computerはデータや情報を共有するものという意味なのに、日本では計算機と訳されてしまった。
だから本来の用途でなく、ひたすら計算につかわれちゃったのかも。
ただ、日本人は言葉の奥になにかを隠し、それを感じ合うことにたぐいまれな才能をもっている。
それは言葉に複数の音をもっているから。(音と訓) 言霊という考えもある。
母国語の特性は技術者の方向にもでていて、アメリカは最先端にまっすぐ進むのに対して、日本人はエッセンスを横展開する

のがうまいといっていた。
インドは階級制度のため言語が複雑なので、コンピュータ言語は簡単に思えて、プログラミング技術にすぐれているのかも。
花音ではcomputerの「共有」のような言葉の奥に潜む裏情報をコンピュータのテキスト検索の技術に応用しているといっていた



同い年の画像技術の技術者にあったときの「言葉をいくら積み上げても画像の情報量にはかなわない。」といわれた
その時「青い風」という言葉がうかび、それはなんだかわからないけれど、言われたら好意をもってくれたと思う言葉で、つまり脳が

何かメッセージをうけとったのだということ。どんなに画像や音の技術があっても、最後には音とかたちをつなぐ部分=言葉にもどる

のではという考えにいたり、それは同意してもらったといっていた。

自分たちの世代を「鉄腕アトム」「鉄人28号」にあこがれた純粋な科学信奉主義者とは違い、
科学万能主義へのアンチテーゼを抱えた世代といっていた。

「青い風」をキーワードに、私たちが「考える」ときに、意味を意識するが、その裏で潜在的にかたちと音に影響されて、言葉を感

じていると解説。
また青をセイとよむことで広がるイメージ、部首で広がるイメージ。
静止したイメージから、青い山と青い風の対比、私たちの脳が対称性を好むのは脳が対称性でできあがているからと解説。

優秀な表現者は脳の対称性を好む嗜好性を利用している。
平野さんは「ヴィオラに弓をのせるとき、寄せる弓に対しては必ず返す意識をのせる」
競技ダンスでも一つのターンに二人の脳がのり、ターンのきっかけを作る男性の方が少し強めに意識を返し、女性は返す意識を

心持おくらせると、男性のまわりに優雅な花のラインができるとあった。
人間の脳は単独で完結しない、感じ合う脳の関係性の上にしか快感は図れない。
コンピュータは閉じているから心地よくないのかも。


大人は自分のイメージを正確に伝える為に熱中してしまいがち、しかし会話における言葉は相手のイメージを喚起させる鍵。
ケンカするとき何を不満に思っているか理詰めで丁寧に説明するより「さみしい」の方が共感を呼ぶ。
情報交換に夢中になるより、言葉が感応の核であることを思い出そう。
子どもは感応する天才。余分な語彙がないので心をうつ。
言葉が豊富だというのは語彙が多いのではなく、言葉によって喚起されるイメージが豊富であるということ。
言葉は暗記や詰め込みではなく快感(情動)を伴う経験として増えていかないと意味がない。
「頭が良い」脳は、感じ合う脳とのバランスをうまくとれる、相手のイメージングに対する想像力に長けている脳。

コミュニケーションの場で使われる言葉は聞き手の脳にイメージの広がりを与える鍵
認識の場で使わる言葉は、イメージの広がりに境界線を与える。
言葉は目の前の事象を認識するためのツール。扱いやすい量の情報を切りだして効率よく脳に認識させるための道具。
そしてその言葉でイメージを呼び戻す。言葉で仮想の再体験、追体験をする。
脳の才能は、イメージを言葉に凍結する、言葉を芳醇に解凍するという二つの方向がある。
イメージの広がりは言葉のくくりで阻害されるが、言葉にしなければ知識として使えないというジレンマがある。
中間色になんとかブルーとつくと青にしか見えないという体験をあげていた。

5歳の息子が「日常よくある不安」という言葉を使った。
日常よくある不安をコンピュータにいれる(コンピュータにふと不安になってもらう)には、これを捉えないといけないと分析
・現状を維持するための不安
 不安は将来のビジョンなしには感じられない。人の場合は死があるので、生存本能に根差した不安があるが、コンピュータに

はない。コンピュータに何を「あなたの幸せ」と教えるか?
・新たな何かを生み出すための不安
 新しい情報がはいってこない不安と他の誰かと打ち解けて理解しあえる交流がないときの不安。
 息子が映画「カーネギーホール」の二倍速に夢中になったときのエピソード。目の前の事象を認識したのち、追体験を繰り返

し、他者の同意を得て、知識の枠組みを確かなものにしていく仕組みとしてあげていた。

人は知識の獲得に貪欲であり、それが不安の源でもある。=知識獲得エンジン
子どもの認識は共通部分のくくりだしからはじまる。そして差分の大きさにきがつくと脳が活性化する。
類似事象がないか探し、なければ想像し、拮抗している類似事象またはその上位概念がみつかったら新事象をつけくわえて新

たな上位の概念が作り出せないか試みる。このとき既存の知識のほうに修正がくわえられることもある。このとき外界に正しいか

ためしてみたくなるらしい。そしてこれらの関係性のベクトルで脳に分類整理される。また生存本能に照らして快不快を判断す

る。

 脳をこのような、目の前の事象を認識して、脳内の知識マップを書き換え、結果が正か悪か判断するエンジンととらえ、不安

はこのシステムの重要な拠点で感じるセンサーアラームとしてとらえる
 1 差分がばらつくので、脳の分類マップに欠陥があるのではという不安。
 2 外界の反応が思わしくなく、生成された知識が正しくないのではという不安。
 3 認識結果が正あるいは真でないことへの不安

 不安センサーは外界とのかかわりがないと入らない。人間は人間の中でしか生きられない。
 コンピュータも外界とのかかわりがなければ知的には働けない。マシンが人間に絶対の答えをだすことはありえない。
 人工知能はシンプルで、外界の共感をうまくとりこんで成長し続けることが必要で、何が幸福かの判断は人間がすることという

原則を忘れないこと。


コンピュータには生命の色合いに基づいたベーシックな意思は存在しない。だから自己完結の知性にはなりえない。
新生児の強い意志をみたときそう思ったそうである。
新生児の世話をしてみて快感と不快感の間をゆれうごき、鳴き声で訴えるのをみて、コンピュータが成長しないのは快感がない

からと思った。
世界中のどこに生まれても言語が獲得できるということは、この世の事象からほとんど同じ量と質の認識ユニットを切りだせるとい

うこと。そしてそれに記号をつけられる。
これはコンピュータにやらせると難しい。どれが類似事象で、省く基準は?そして名前は?これをプログラミングしなければいけな

いのに、脳はもともともっているのだ。
花音では、言語獲得のために脳内に用意されているプレインストール・エンジンを誕生前言語フレームとよぶ、これを動かすエン

ジンは生存本能、オイルは快感。

認識は自分と対象との関係性の上に生じる。
だから、誕生前言語フレームを得るには五感のうちいくつかが必要になる。
恋するコンピュータ構想では、完璧な五感はめざさないで、視覚、聴覚センサーどまりにして、ユーザの使う言葉を広いあつめて

言語関係性データベースをつくり、ユーザの快不快情報を重ね合わせ、知識を表現するものにするという。

人の記憶は丸めることができる。
ある認識ユニットに名称をつけたら、次に出会う類似の認識ユニットは、この言葉のもとに丸められてしまう。
こうして人は認識を言葉で丸めて本当に小さな量の記憶に圧縮することができる。
人の顔認識なども、こうした圧縮できる。
そして記憶は思いだしやすい1次メモリと検索に時間がかかる二次メモリに階層化されていく。このいれかわりは日常おこなわれ

ている。
会話のときには相手のいいそうなことを一次メモリにいれておき、状況が変わるごとに書き換えている。そのためかなり不明瞭な

言葉でも聞き取れる。
そして、1 相手の言葉をききとる 2次に自分がいう言葉を紡ぎだす 3さらに相手の言葉を予想する という行為をある程度

並列でやっている。

人は相手の言葉を認識しながら全体の文脈を予測解析する部分が大きい。
この記憶のために痛みの記憶も増幅できる。記憶された痛みを呼び出して再体験することで、陣痛の痛みが何倍にもなること

からわかったという。
脳が感じるのが痛みなので、脳で逃がしてやることもできる。
妊娠中や授乳中にでるホルモンはワーキングメモリのスタック能力を下げるので、認識のための集中力が下がる。
著者はこれを仕事や育児や人間関係のストレスに応用して、それらをすたっキングしないようにしているという。

忘却もコンピュータにはありません。
人間もふとしたことで記憶がよみがえったりするので、本当の忘却はなくて思い出せないだけかも。でも人間は完全な忘却=死

があります。
古い記憶がこう着して新しい認識を受け入れられなくなる前に死を迎え、命をつないでいったん脳をクリアにするというは画期的

方法。
コンピュータもデータが溜まりすぎないように、基本的なものと、よく使うものから新しいコンピュータにうつして、一定期間すぎたら

古い方は廃棄すればいいじゃないか。
ただし、基本てきなもの=基本の概念枠がなにかが問題。

息子に生まれる前にどこにいるかきいた(一度しか聞けないような気がしていたので、タイミングを計って呼吸をあわせて慎重に)
「木の上に咲いていた」が答え。三歳のときだそうだ。
イメージのまま三年間脳内で保持されていたものが、完全な言語体系をもたない(知識を言語で獲得するようになっていない)

子どもによって表現された言葉として感動したそうだ。
大人は知識を言葉で獲得する、五感によって感じ取ったイメージも言葉による説明文をつけられて頭の中に整理されていく。

思い出すときも言葉(記号)がたよりとなる。
しかし、本当は言葉にならないたくさんのイメージをそのまま脳裏にやきつけていて、インスピレーションという形で表層にだしてい

るのかも。
コンピュータには教えられたことを教えられたままに呑みこむことしかできず、インスピレーションは生まれない。
子どもに言葉を教えるのなら、その言葉が喚起するイメージの広がりを伝えなければ意味がない。

認識はさまざまな具象のモノが配置され、時系列でおきるのを、有用な単位にきりわけてその骨子をとりだすこと。
呼吸を深く長くすることで、酸素が多く供給されて、生理的な機能や根気、集中力が高まる。
さらに脳の認識ユニットが長くなり、認識が深くなるので、思慮深さや包容力という知性の領域まで影響は及ぶ。
平野さんの演奏のための表現ユニット(リラックスポイントといっているそうだが)からヒントを得ていた。
また息の浅い子供は根気がなく、少ないバッテリーで脳というノートパソコンをフル稼働している、かわいそうな状態にみえるそうだ



呼吸は生命維持に必要だけど、それ以外ににも知性を誘発するもので、生物の温かい気配の源でもある。
呼吸のように無意識のうちに脳に刺激を送り続けるアイテムが、私たちの内外にはたくさんある。
育児疲れで考えたのは、「頑固でしつこい人」という実体はこの世に存在しない。そういう指向性のある脳が一過性のものとして

ここにあるだけ。そしてその脳は私の脳との関係性において成熟しようとしている。と考えたそうだ。
理想の恋人は互いの脳に情動を起こせる人、関係性のいごこちよさで相手を探すと時がたてば、相手は必ず理想の人になる

もの。脳は形状でさえコントロールしてしまうから。

脳科学がブームになっているのは、永遠で絶対の真理が存在することを信じて、走り続けてきた科学が、
関係性を解く科学へと生まれ変わろうとしているのかも。
女性が母性という名のもとに綿々と培ってきた資質が科学のステージに登場してくる。来世紀(21世紀)の科学は今世紀より人

を幸せにしてくれるかも。

あとがきとして
「恋するコンピュータ」は会社にいたころ21世紀型コンピュータ開発の研究コンセプトとして提唱したテーマ。
「開発者が恋するような気持ちでつくる、ユーザに恋するコンピュータたい。恋するひとと達がそっと交換しあうような、そんな洗練さ

れたアイテムになりますように」という気持ちをこめたという。
機能は、ひたすらユーザを見つめ、理解しようとすること、ユーザに何らかの情動を起こすシステムという二つだけを決めた。
実は、恋するをつきつめるのは大変なので、思考の遊び場のように自分たちの情動をときあかし、それを少しでもコンピュータにの

せればいいと思っていたという。


恋するコンピュータ10年後
息子は高校2年生で、剣道とバイクに夢中な好奇心旺盛で勉強はあまりすきではないという男の子に成長。どうやら物理に興

味がありそう。
恋するコンピュータは携帯電話の「分身」として登場。名前を入力すると語感からビジュアルな人型として登場し予測される性

格で電子空間で生きる存在だそうです。分身同士で相性を診断したりもするそう。
昔の文を読むと、見つめて寄り添うが前面にでているが、今は自立した有能で愉快なパートナーでありたいといっていた。
互いの中に刺激的情動を感じながら、それぞれ別の人生の使命をいきている。好奇心の方向はにていて、ある程度意識を共

有できるが、異なる気づきによって客観性を担保できる関係でいることが大切といっていた。
「あの人なら」と思われはじめて人間の存在価値はうまれるのかもしれない。他人の中に自分にしか見えない美点をみつけだす

ことで、自己の存在価値はあがっていく。
自分の大切な人のそういう存在になってあげればいい、それが2008年の恋するコンピュータだそうだ。

語感のはなし。
音が与える不思議な力
スズキ・シュンスケには機敏でスピード感があるイメージ
ゴウトクジ・マナブには歴史に詳しく、何かコレクションでもしていそうなイメージ
など、音から受ける力の解説。
名前は生まれた子供から感じるものを音にするということもあるし、
呼ばれることで音の力をうけるということもあるという。
ことばと存在は不可分といっていた。

語感の正体
ロボットに言葉をしゃべらせる研究をしていて、言葉の語感を科学的に分析することを思いついた。
発音体感をつかうことを思いつき、ことばの感性がわかるようになったという。
現在は事業のコアにして会社を一つもっているそうだ。
このとき統計学で処理しようとしていたら、研究は袋小路にはいっていただろう。物理学をまなんだため、発音体感を物理現象

として主観の外に持ち出せたと分析していた。
学校の勉強はものの考え方を学ぶもの。著者も物理の時間に、宙にういたボールの重力が消えた(実際には糸でつっている)と

いわれたとき、ものの見方が変わる瞬間を体験したという。

はじめて本をかくとき、「書きたいことはレポート用紙一枚に箇条書きでできてしまうので本にならない」といったら
「一番近道で結論にいくのではなく、ツアーコンダクターのようにいろんなところをみせてください」といわれ納得したという。



恋するコンピュータ (ちくま文庫)

恋するコンピュータ (ちくま文庫)

  • 作者: 黒川 伊保子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2008/08/06
  • メディア: 文庫



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